基準

 昔ならあり得なかったような気がする。医師や歯科医師自民党の長期政権の元でいい目をしてきたから、政府のことを彼らの前で批判するのははばかれた。だから学校保健委員会で医師や歯科医と同席してもその種の話題は出さなかった。しかし、昨日原子力発電所事故の危険性について父兄の前で話したとき、とにかく国をはじめ力を持っているところや学者を信用するなと強く訴えたのだが、その事に関して医師も歯科医師も賛成してくれて寧ろ僕をフォローしてくれた。 今度の福島のことで色々明らかになったことがあるが、原子力に群がる学者と呼ばれる人達の無節操ぶりもその中の一つだ。学者という肩書きをなくしたらいいと思うくらいだ。金が好きで肩書きが好きで、強いものにはすり寄る無節操さの持ち主で、科学的真実も我欲のためなら簡単にねじ曲げる人種だ。ほとんど軽蔑の対象でしかない。政治家は言うに及ばず学者までが品のない人生を送っていたことが露わになった。最早信じられない、信じない肩書きになってしまった。 父兄の前で話していて自分でも面白い比喩だと思ったものがある。年間1㎜シーベルトの基準を突如20㎜シーベルトに政府が変えたことに関してだ。交通規則で時速40Kmで昨日まで走っていたところで、今日から時速800Kmまで許すと言われているようなものだと説明した。この比喩は父兄には具体的に理解しやすかったみたいで多くの共感が得られた。毎日数字ばっかり出てくるから数字の大小だけにとらわれているが、こうして具体的な分かりやすいものに置き換えてみれば如何に国民の生命を軽視しているかが良くわかる。  うんざりとするような不信感の中で今日も夜が明け日が沈む。人よりいい目をすることが人生の目的のようになり、人の命さえもてあそぶ。今は何時代なのかと思う。そうか「少女時代」だ。よし、整形してこよっと。