4倍

 なんとも情けない姿で、なんとも情けない言葉をつぶやきながら入ってくるからどうしたのかと思ったら、「先生、私は今日はほとほと情けなくなった」と腰掛けるなりことの顛末を教えてくれた。 「今日畑に行ってみたらヒヨが100羽くらい一斉に飛び立ったんですわ。折角作ったブロッコリーなのに」この言葉でこちらは人身にかかわることでないことが分かったから一安心だ。最近お姑さんを看取り、跡を継いで慣れない農作業をしているらしいのだが、見よう見まねで育てた作物を鳥にやられたからショックなのだろう。鳥の防護まで頭が行かなかったのかもしれない。「奥さんの畑だけやられたの?」と尋ねると、案の定、ネットを張っていないからねらい打ちにされたらしい。その辺りに住む野鳥を全部集めたような感じなのだろうか。  ヒヨとは恐らくヒヨドリの事なのだろうが僕にはぴんと来ない。名前は聞いたことはあるが実際には特定できない。「ヒヨって、ヒヨドリのことですよね、ヒヨドリって大きいの?」と尋ねると即座に「4倍」と答えが返ってきた。考えた形跡はない。当然とばかりの自信に溢れた返事だった。僕はその断定ぶりが印象に残った。普通なら手を広げてみてこのくらいかなあと思案しても良さそうなのだが、吐き捨てるように答えたその数字に女性の消沈ぶりがよくでていた。 お姑さんが健在の時は、その圧倒的な働きぶりに不満を並べていたが、いざ自分の代になると同じようなことをしている。家を守る、畑を守る、どんな本能に操られているのか分からないが、守らなければならないものを持っている人の気丈夫さはそれでもしっかりと隠している。戦前の価値感を宿す最後の世代だろうが僕らより数段芯は通っている。ほとほと困った表情の中にも反撃の機会をうかがっている目が光っている。