絵本

 「これで蝶々が出たら花札じゃなぁ」と妻が言ったから一瞬びっくりしたが、そう言えば若い頃花札で遊んだことがあるような気がする。別に裏街道を歩いていたわけではないが、当時は普通の青年がしていたのかなあと、おぼろげな記憶を辿ってみる。それにしても娯楽が少なかったのだろう、ろくな事をしていない。今も昔も同じだが。
 どうして花札などと言う言葉が口から出たかというと、会計をすませた人が、牛窓で鹿を見たと言い、このくらいあったと自分の頭の上の方を示したのだ。「車に乗っていたから大きく見えた」らしいのだが、予想以上に大きかったというのを彼は強調したかったみたいだ。奈良でも宮島でも、鹿を見上げるようなことはなかったから、余程彼の車はスポーツ車並に車高が低いのだろう。牛窓に鹿がいたなんて、なんてロマンなのだろうとその人の経験を羨ましそうに聞いていたら、もう1人の人が、昨日、猪が出たから気をつけてくださいと放送していたと教えてくれた。これで役者がそろったから後は蝶だけだと妻が言ったのだ。  鹿と遭遇した人は運が良くて、見たこともない人間にとっては羨望の眼差しを送りそうになるのだが、ある農家の奥さんが、如何にも困るって反応を示した。僕らは鹿や猪がいる風景に郷愁を感じかねないのだが、その奥さんがすぐに想像したのは作物の被害に関してだと思う。明らかに僕たちとは違う反応を示した。「主人が道端の作物を何かにやられたと言っていたけれど、猪じゃろうか」と言う奥さんの言葉の前で皆言葉を失った。しばしば報道されるように農作物への被害は深刻で、その事がすぐに頭をよぎったのだろう。 職業的に共存できない人と、愛くるしい様を想像する人間との相容れない空気が支配した。ちょっとした会話から始まった気まずさだが、実際に被害が報告されるようになったら自分としてはどの様な態度をとるのだろうと自問してみた。どう猛で危害が及びそうな猪は別として、愛くるしい鹿に対して駆除の立場がとれるだろうか。結構難しい選択のような気がする。  今までの人生で決して起こりえないと思っていたことが起こる。それも向こうからこちらに近づく形で。環境の何が変わったのかは分からないが、ひょっとしたら共生の時代がくるかもしれない。家の回りで鹿やきつねやウサギが遊び、人は争わず、助け合い、笑いながら暮らす・・・・絵本か!