その地が良かったのか、仕事から離れたことが良かったのか、旅行とはたいしたものだ。余りしたことがないから、その解放感は体感的には理解できないが、その方の体調の改善ぶりからは大いに想像できる。行った先が東南アジアってところもその人にとっては良かったのかもしれない。偶然数年間、僕はその国の人達と関わりを持ったから、彼女たちの純朴さは大いに評価している。もしその様な人達を生み出した風土の中で数日間でも暮らせば、日本で日々戦いのポーズで暮らしていた人でさえ、心も身体も弛緩できるのだろう。 その職が合っているのかどうか分からないが、安定剤や僕の漢方薬の助けが必要だ。社会的に評価の高い仕事だがそれだからこそプレッシャーも重くのしかかる。彼のように薬の助けを借りながらも懸命に働いている人はいっぱいいる。特に最近では心療内科的な薬を常用してなお仕事に励む人が多い。日本人の潔癖さがそうさせるのか分からないが、見ていて痛々しい。一度ドロップアウトしたらなかなか復活が難しいこの国では、心を病んでもなかなか休むことはできないのだろう。強いられた生存競争の中でますます心を削っている。痩せた心で毎日職場に向かうのは辛かろうが、痩せた心までは人は見てくれない。痩せこけた体ならまだ見て理解してくれるのだが。  帰国したら又僕の漢方薬が必要になった。電話で一杯笑ってくれたから、心の中にまだお土産は残っているのだと思うが、それも少しずつ小出しにしてやがて尽きる。心のトラブルはいわば作られた病気だ。作為的ではないにしろ、社会が生産性や経済性や効率ばかりを追求した過程が、人の心の時間とは合わないのだ。人は本来歩く動物で、車や電車、あげくは飛行機、いやいやもっと早い光のスピードで、移動するものではない。ただ移動するためだけに費やしていた膨大な時間のほとんどを、現代は生産のために費やす。頭を休める時間などないのだ。所詮、古代人とほとんど同じ容量の脳みそがもつはずがない。例えは悪いが、サッカー場にネットを張って卓球をしているようなものだ。足も手も筋肉が悲鳴を上げるに決まっている。  病院よりも薬よりも健康を保証してくれるものなど恐らくいっぱいあるに違いない。ただそれらを享受することすら許されない、社会の掟が綿々と生き延びているのだ。