よだれかけ

 何時間僕はそんな格好をしていたのだろう。これで僕のニヒリズムも地に落ちた。いや地に落ちるどころではなく、地下深く潜って二度と浮かび上がってきそうにない。もうこうなればお笑い路線で勝負するしかない。  僕は煎じ薬を作るとき外科医が使うような4本の紐で縛るマスクを使っている。煎じ薬の粉が舞い、鼻炎になってしまうからだ。空気清浄機を使いながら作業をするのだが、それではさばききれない。マスクは必需品だ。薬を作る作業が終われば、4本の紐のうち上側をはずして、下側だけでマスクが垂れ下がるようにしておく。赤ちゃんのよだれかけさながらだ。そうしておくと煎じ薬を作らなければならない人が来たら、とっさに上の紐を結ぶだけで作業が再開できる。要はいつも下側の日本の紐で首にぶら下げているのだ。見かけはだらしないが僕自身は臨戦態勢のつもりでいる。 今日は朝から煎じ薬の出番が多かった。それこそマスクの上側の紐をほどいたりくくったりを繰り返していた。さすがに長い相談の時はマスクをはずしてポケットに入れておくのだが、今日どなたかの相談の後、ポケットにしまっておいたマスクがなくなっていた。僕が良くマスクをおく場所をいくら捜しても見つからなかった。次の煎じ薬の調剤が急がれたので仕方なく、新しいマスクを着用して作業をした。 遅い昼食をとりに2階に上がった。さすがに昼食の時はマスクは取るし、白衣も脱ぐ。ところが、マスクを取ったのにまだマスクが、よだれかけのようにぶら下がっている。何と僕は2つのマスクをぶら下げていたのだ。はずしてもいないメガネを捜す人が笑い話で登場するが、まさに同じ事をしていた。首にぶら下げているマスクに気がつかずに、必死でマスクを捜していたのだ。いくら捜しても見つからないはずだ、身につけているのだから。それにしても滑稽だったろうと思う。僕がマスクをぶら下げている姿はみんな見慣れているだろうが、さすがに二つをぶら下げているのは見たことはないだろう。どのくらいその滑稽な姿をさらしていたのか分からないが、その間に結構深刻な病気の相談にも乗った。どういう気持ちで僕の処方を服用してくれるのか分からないが、ただでさえ効かない薬が尚更効かなくなる。  遠慮して口には出せなかったのかもしれないが、心の中でくすっとでも笑えてもらっていたらせめてもの慰めだ。緊張が取れればかなりの病気が改善するという持論を実践したんだと、今言い訳を思いついた。今日の目撃者が次回この話題を持ち出したら、椅子に浅く腰をかけ、上半身をのけぞるようにして「あなたが治るためだったら僕は何でもするよ」と微笑もう。