君臨

 一体この国で、精神安定剤デパスなる薬を毎日どれくらいの人が飲んでいるのだろう。数万人ではきかないだろう。数十万人か、それとも百万人に届くのか。 余程、飲めば心地よくなる薬と見えて、沢山の人が服用している。効能通り、精神が不安定な人が飲んだり、不眠の人が飲んだり、肩こりの人が飲んだりしている。ただそれを飲んで得られる快適さを良しとしない人もいて、なんとかデパス支配から抜けようとする人達もいる。中には、デパスでマスクして隠す症状よりデパスを飲んでいること自体の罪悪感で悩んでいる人もいる。 なんとかデパスと同じ効果を出せれないかなと思って、いつか僕の先生から教えて頂いたある煎じ薬を作った。本人にはその事は言わなかった。期待されている症状が違うから、敢えてその事には触れなかった。2週間後に漢方薬が切れたからと注文の電話が入ってきた。こちらが尋ねもしないのに「デパスが切れたから病院に行こうと思ったけれど忙しく行きそびれたんです。だけど不思議なことに何も起こらないんですわ。だから自然とデパスは止まりました」と何年も飲み続けていたデパスを止めれたと教えてくれた。これは期待以上だった。別に実験したわけではないが、少しは精神的に解放されないかなと思って作った処方だが、まさか2週間でデパスから解放されるとは思っていなかった。  デパスを飲みながら生きていくかどうかは自分で決めることであって医者が決めることではない。現代の治療は医者が絶対の権威として君臨するものではない。医者の向こうに製薬会社の営利が透けて見える時代に、命も生活も預けるには倫理があまりにも崩壊している。たかがデパスと言えども、思いはそれぞれだ。飲んでいる苦痛から解放でき、元々飲みだした原因の症状もとってあげられれば最高だ。国民的繁用薬に少しくらい懐疑的な薬剤師がいてもいいだろう。下請けではない薬局の気楽さかもしれないが。