見かけ倒れ

 肩幅も、腕の太さも、太股の周囲も僕の倍はありそうだ。おまけに僕よりは10歳以上若い。ボディービルと空手で鍛えた彼が言うのだから、僕なんかは逆立ちしても出来ないのは当たり前だ。肉体の強さから言えば比べるのもおこがましいような人が思わず漏らした言葉だから、説得力もある。妙に諦めがついた。これからはただひたすら自分自身をいたわって生きていこうと思った。 体育館で子供相手に空手の指導が数ヶ月行われていたが、最近見なくなった。彼が薬を取りに来たときに「空手の指導はしていないの?」と尋ねたら「もう出来るもんか、体が全然動かない。口だけの指導なら出来るけれど。あれはよその道場」と答えたのだ。最初はぴんと来なかった。若いときの彼を知っているが、僕の中ではいつまでも若いままで、僕と並行して歳を重ねていることがそれこそぴんと来なかった。落ち着いて考えれば嘗ての記憶に僕が経たと同じ歳月をたせばいいのだから、彼も又良い歳になっているのだ。だから彼が出来るもんかと自嘲気味に言ったのも理解できる。「先生、バレーボールまだやっているの?」と今度は僕が尋ねられたが、それこそあり得ない話で「数年前に止めた、いや出来なくなった」と答えた。僕が出来なくなって、彼が気が済むようではいけないが「そうじゃろ」と納得気味だ。  彼みたいな筋肉隆々の人でも、僕みたいに色白でスリムで冷え性でも行き着くところは同じようなものなのだと安心した。筋肉がないぶん骨格系に負担は来るが、昔取った杵柄はどちらも最早取れないらしいからうらやましがることもない。細く長くをモットーとするか、行け行けドンドンか、すべて血液のなせる技だが優劣を競うほどのものではない。この年齢になってみれば、何もかも大目に見て貰えると同時に、何もかも許すことが出来る。些細なことに一喜一憂していた頃がおかしくもあり悲しくもある。 およそ病気などと縁がなさそうに見える彼がしばしば薬を取りに来る。およそ健康と縁がなさそうな僕が薬局をやっている。見かけなどが如何にあてにならないかが良く分かる。見かけ通りなら、世の中のすべてが予測値ですんでしまう。見かけ倒れがあってこその世の中だ。