接着剤

 今頃来るから、年賀状が余ったのだろう。薬のことが似合わない薬剤師のダントツだと思っているのだが、その年賀状みたいなものに「蔵付きの古民家で本屋、カフェ、ギャラリー、ライブと欲張った展開を計画中です」と書き足していた。今薬剤師をしているのかどうか知らない。生活費の補いに時々薬剤師をしていた頃もあったのだが。なにぶんもう何年も会っていないので何も分からない。 高山のライブハウスをインターネットで調べたとき、彼が写っていた。最後に会った頃と余り変わっていないように思った。高山に根付いて、高山をかき回して、恐らく楽しんでいるのだろう。いい笑い顔をしていた。学生の頃と変わりない。ちょっと肩をすくめながら、きっと人の輪の中でいつも笑顔を絶やさないのだと思う。ぐいぐい人を引っ張っていくようなタイプではなかったが、接着剤としての能力に長けていたのだと思う。嘗ては僕ら劣等生、今は色々な分野のアーティスト、自由人などが集まっているに違いない。元々マイナーの匂いのする人だから、その類のうさんくさい人が集まっているのではないか。日々目にする日当たりのよい光景には似合わないし、彼自身も興味をそそられないだろう。ある種の文化、彼が担い続けているものを表現するとそう呼ぶべきものかも知れない。都会ではなく、内陸の底冷えの街で育てることにこそ価値を見出し、事実その様に行動し、今自分のやりたいことの集大成みたいな空間を実現しようとしている。  10年ぶりか、20年ぶりか分からないが、突然現れて驚かせてやろうかと思う。岐阜の先輩にそれこそ20年ぶり?くらいに会っても1秒を要しない速さであの頃に帰れた。あの頃の何も相手に求めない関係は、僕は高山と岐阜の先輩しか考えられない。あの頃を評価するとしたら無欲かもしれない。それは果てしない諦めの向こうに偶然あっただけかもしれないが、「何かいいことはない?」と呪文のように繰り返していた言葉は、何もいいことなど起こらないと言う確かな予感が作り出していた言葉なのだ。切れることなく続く行列に割り込む青春は僕らにはなかった。