ロボット

 漢方の世界では、ある特徴を持った人達を一つのグループにして処方を決定するのに役立てている。数千年前に出来た処方が未だ通用するのだから、古人の知能と壮大な人体実験に驚く。逆を言えば千年単位などでは人間の知能自体はほとんど進化していないのではないかとも思う。脱線を許されるなら、ミケランジェロもベートーベンも大好きなチャップリンもなかなか超えられないのだから。 「物事をきちんと片づけないと気が済まない人というのは結構いて、自分の思い通りに行かないときは、イライラしていて急に怒り出したりする。体調を壊すと気が弱くなって何事にも消極的になって悪化すればノイローゼになる」こんなタイプの人を漢方ではひとくくりにしている。これを読んで、いるいるそんな人と思う方もあるだろうし、まさに自分ではないかと思う人もいるだろう。何を隠そう僕時自身がこの素質を持っていて、その性格だからこそ多くを得て来たのだが、ある躓きを契機にこの文章の後半を体験してしまった。何事も順調にいっているときは問題がないのだが、自分の能力を超えた時間を長く続けるとさすがに疲労が蓄積されて、一気に谷底に転落する。僕は職業柄、又家族に専門家がいるから早く脱出できたが、あの時に安易に化学薬品に頼っていたら今はないかもしれない。多くのその様な患者さんに処方箋と交換で薬を出していたから、その人達の回復の有り様を目撃していた。と言うより、回復しない有り様を見ることがほとんどだった。人生のもっとも充実している時期、青春から壮年期にかけて薬に支配されるのはつらい。依存性はないと製薬会社は宣伝し医師は患者を安心させるが、それは昔の薬と比べての範囲でしかない。  何千年も前に現代に通じるストレスがあったのかどうか分からないが、少なくとも当時の人も緊張感や悲観の連続で心を病むことを知っていたみたいだ。現代のように人が相手のストレスではなく、寒さや飢え、病気などだったのかもしれないが、それでも現代に通じる治療法を編み出していたのはすごすぎる。括弧でくくった人物像は本来なら潔癖で仕事も出来るし人当たりもいいはずだ。それが不幸にして度を超えたストレスで崩れたとき、人格さえ否定されるべきではない。頑張りすぎ病の勲章なのだから。  昔の人がいったいどのくらい1日のうちに活動していたのか分からないが、少なくとも 寝る時間以外のほとんどを勉強や仕事に使ったりはしていないだろう。現代人の多くは限界以上を強いられて何を与えられているのだろう。緊張の糸が切れた時、持って生まれた単なる性格は、凶器となって我が身に降りかかる。自然の草木に救われる間僕たちは、かろうじて自然の中に生きる動物でおれるが、石油でしか救われないとなると涙を流すロボットになってしまう。