鋭い視線をしているなと思う。その視線の先にはピンポン玉がまるで止まっているかのように見えるのだろうか。テレビで試合の模様を何回か見たことがあるが、クールなイメージで、幼いときから勝負の世界に入っていった子のさがみたいなものを感じる。 いつからだろう、体育館の正面玄関のガラス扉に、石川佳純選手の大きなポスターが貼られている。左利きの彼女がラケットを大きく振り切った瞬間が写されている。恐らくポーズをとって写したものでなく本当に試合をしているときに写されたものだろう。冒頭の鋭い視線が見るものを引きつける。何のためのポスターだろうと思って、今朝近寄ってキャッチコピーを見てみた。文部科学省制作のように思えたけれど「強い心と身体をスポーツで作ろう」みたいなことをうたっていた。  牛窓に嘗て石川選手と試合をした子がいる。小学生時代、しばしば山陰に行って試合をしていた。そのお母さんに石川選手のことも聞いていた。余り興味がなかったので相づち程度に聞いていたが、そのうち石川選手が全国区になってきてから、無関心でいたのが惜しい気がした。記憶を辿ればやはり素質はずば抜けていたみたいで、小学校から帰ったら高等学校に練習に行き、夜は自分の家で練習をしていたらしい。まさに強い心と身体を彼女は手にしたのだろう。翻って彼女と試合をした子は、その後強い心と身体を手にしたかと言えば疑問符が残る。家族と親しいので正直なところを言えば、強い心も強靱な身体も手には入らなかった。いまでは何処にでもいそうなごく普通の可愛い高校生だ。ある瞬間偶然交差した二人だが、二度と交わらぬ方向へ歩んだ。いい悪いではなく、無数の要素が絡まって人生など展開する。切り開く子もいれば、切り裂かれる子もいる。  スポーツだけが強い心と身体を作れるものではないが、幼い時にほとんど昔のお百姓や漁師の子みたいに身体を動かして親を手伝うこともないから、さすがに肉体を鍛えるチャンスは少ない。ひょっとしたら皮肉にも貧困率が20%近いから強い心を身につける子はいるかもしれない。質素な食卓から強い体は作れないが、懸命に生きている親を見て強い心なら育つかもしれない。  あの真剣な眼差しを見ていると、僕が30年間、下手な芸人よりはるかに面白いギャグを言い合い、涙が出るほど笑いながら、殺気もなく機嫌良くやって来たバレーボールなどもってのほかだ。だけどおおむねこの世の中はもってのほかの種の方がはびこっている。それを「種の機嫌」と言う。