睡眠

 珍しい光景だった。薬を買って出ていくときにありがとうと言ったのだ。もう30年来の常連と言ってもいい人なのだが、礼を言うようなタイプの人間ではなかった。どちらかというと横柄な態度で、礼は言わないが、しばしばやってきて色々な漢方薬を持って帰る。その横柄な態度が気の弱さの裏返しだというのは充分分かっているから、哀れだと思う反面、もういい加減に弱音を吐いたらとも思う。本人はもとより家族の者も含めるとありとあらゆる種類の世話をしているが、不思議なことに彼は自分の家族に対しては痒いところに手が届くような世話を焼いている。家ではいいお父さんなのだ。今まで何十回お礼を言ってもらってもいいようなのに今回に限って礼を言われたのが不思議だが、睡眠に関してかなりナーバスになっていたのだろう。役職上色々なトラブルも抱えていたのかもしれないが、この数ヶ月不眠に悩んでいたみたいだ。 かの有名な郵送してはいけなくなった薬局製剤の中に、睡眠を誘う薬がある。免許を持っていれば全国何処の薬局でも作れるが、免許を持っている薬局がまず少ない。そして免許を持っていても実際に作っている薬局と言ったらほんのわずかだ。病院の睡眠薬ほど強くないから、翌朝に持ち越し効果が無くてスッキリと仕事が出来ると彼が喜んだ処方だ。悩ましい症状に苦しまなくなったことへの感謝がこの珍しい光景だったのだ。こんな穏やかな睡眠薬だからファンは多いのだが、省令によって遠くの人には利用してもらえなくなった。ワンクリックなどではなく産みの苦しみで処方を選択していく薬局製剤を誰もが利用できるように以前の形態に戻して欲しい。訴えることが苦手な、又訴える手段もない人達の声を、新しい政権はくみ取って欲しい。病院でも治らない人は実は一杯いるのだ。次善はワンクリックやテレビ番組を買い取ってしまう得体の知れないものより薬局だと思うのだが。