中途半端

 精も根も尽き果てて、あるおばちゃんが娑婆に帰ってきた。お久しぶりですと言う挨拶の通りまさに久しぶりだった。親分肌の女性で、何人も薬局に紹介してくれて、なかなか難しい症状を勉強させてくれる人だ。その親分肌を買われたのかどうか知らないが市長選挙の応援にかり出されていた。2ヶ月くらい没頭したのではないか。風の噂に大変な熱の入れようだと聞こえてきたから。 残念ながら応援していた候補者は落選したみたいだ。敗因を語っていたが、新聞紙上でも目を通さない他の街の市長選挙だから、なにやら怪しげな情報にも思える。事実かどうかは分からないが、何かを恨まなければ、何かのせいにしなければ結果を受け入れがたいのだろう。家族も巻き込んでの連日の事務所詰めも、暑い季節と共に終わった。結果が悪かったから疲れただろうと思いきや、今は毎日畑に出かけているらしい。70歳を過ぎて人の接待ばかりをしてきたから少し逃げ出したかったのかもしれない。畑がいいわとなにやら感慨深げだった。何に比べているのだろうと僕は思ったのだが。  僕も若気の至りで、と言うより田舎のしがらみで若いときに選挙を手伝ったことがある。候補者と何かの接点があるわけではないが、住居や商工会という環境でそのしがらみにどっぷりと浸からされた。別にいやな思い出はない。良かったことは、煙草がただで何本でも吸えたこと。食事が食べ放題だったこと。その二つの報酬のために、俄然笑顔を作り手を振った。田舎に帰ったばっかりで、同じ世代の青年と仲良くなるきっかけにもなった。僕は当時毎日を「選挙祭り」と呼んでいた。そうでも思わなければ、又何かの実利に接しなければ、理由の見つけれない自分の行動に折り合いが付けられなかった。昔の選挙がどんなものかよく分かったから、後悔はしていない。そのおかげで、やはり強いものは苦手だと言うことが分かり、以後選挙とは深く関わることを避けるようになった。  おばちゃんは、腰や膝の漢方薬を持って帰った。2ヶ月の間飲まなくても平気だったのだが、我に返った瞬間痛みも戻ってしまった。血湧き肉躍ることの大切さを勉強させてもらった。健康は求めてもなかなか手に入らないが、我を忘れるほどのめり込むものがあれば簡単に手にはいるのかもしれない。痛いところだらけ、しんどいとこだらけの僕はきっと何事も中途半端なのだろうな。