浣腸

 シャッターを開けるとすぐにタクシーが横付けにされ、老婆が浣腸を取りに来た。慌てていたから本人が使いたいのか、家で旦那が待っているのか分からなかったが、たった260円のものを買いに来るために、恐らくその10倍近いタクシー代を払うのだろう。タクシーを頻繁に利用できるほど恵まれているようには見えなかったが、それ以外に急いで来る方法はなかったのだろう。同じ状況でも、それも薬局がまだ開いていない時間でも電話をかけてきて配達を頼む人もいる。両親の時代から配達は完全実施していて、来れない人や来たくない人には必ず配達している。それは我が家にとっては当然すぎることで何ら抵抗はない。同じ状況でも、個性によってこのように行動は異なる。   彼は過疎地の牛窓を出陣式に選んでくれた。後で分かったことだが、水害の時にボランティアで牛窓に来てくれた時に得た価値観が、彼の政治家としての姿勢に影響を与えたと言っていた。そんな彼が、昨夜のニュースや今朝の新聞で国家戦略局政務官になったことを知った。地元を大切にしてくれるのはいいが、戦後それを見返りに金と票をもらうという弊害が余りにも長く続きすぎたから、僕は彼には日本中の人の幸せを最優先に考える人であって欲しいと思っていた。彼が得た役職はまさにそれを実現するには最適のものだと思う。  たった260円のものを取りに来るのに、薬局が開くのを待ってタクシーで来る。片やまだ眠っているのに電話をかけて配達を頼む。家には息子さん夫婦もいて車も2台ある。どちらがいい悪いではなく、どちらもが同じ空の下で暮らしているってことだ。どちらかというと後者の方に社会的な成功者が多い。他人に迷惑をかけず、利用せず懸命に生きてきた前者が、果たして何かを要求しただろうか。勝ち取った権利、勝ち取った報酬があるのだろうか。与えられた収入の中で善良にひたすらに生活してきただけなのではないか。 彼には前者の人達の声を聞く耳を何時までも持って欲しい。無口で口べたの人の中に真実は多く横たわっている。饒舌で勇敢で、そんな人が他人を幸せにした記憶はない。時の力を我がものにした人達が今回退場した。その人達を利用して僅か数分で派遣労働者の時間給以上を稼げるシステムも手に入った。そんな僕らの業界も含めて、誰かが報酬はもうこの程度でいいから、懸命に働き訴えることが苦手だった人達に回してと言い出さなければならないのではないか。