笑い話

 もう笑い話ではない。  僕はテレビを見ながら食事をするので毎日午後2時前後には必ずテレビを見ている。夜は8時から1時間くらいテレビを見ている。あまりにもくだらない番組が多くて、(内容、出演者を含めて)リモコン操作でしょっちゅうチャンネルを変えるのだが、やっと落ち着くところがコマーシャルをやっているところってのが最近増えた。スポンサーにとっては、テレビ局の無能が幸いしているかもしれない。チャンネルの避難先がコマーシャルとは情けないが、コマーシャルの方が元をとろうとしているから本気度が違う。もっとも僕はやらせ的なコマーシャルに財布の紐を緩められるほど金持ちではないから、その手のものは決して見ないが。どうして公共の電波を使ってこんなことが許されるのだろうと素朴に考えるが、そもそも公共などという言葉にごまかされているのかもしれない。公共なら公共らしく、少しはまともな番組を作れと言いたくなる。 ボルトをはじめとする陸上選手の力走に圧倒的な感動を喚起されるのは、裏がないこと。一瞬のパフォーマンスのために、何年も血のにじむ努力をしてきた必死さが伝わってくること。想像を絶する努力を惜しまなかった人だけが到達できる境地を誰もが想像できること。  チャンネルを逃避させる彼らにその片鱗すら感じられない。誰が見ているのを想定してあの低劣な映像を垂れ流すのか知らないが、あの時間帯のエネルギー消費量を放送停止時間帯にして節約した方が、余程地球やその上でリモコン症候群に陥っている多くの人達の精神に優しい。「何もしないことが、何かすることと同じだったりする・・・」と友部正人が歌っていたが、「何もしないことが、何かすることより数段優っている・・」と僕は歌いたい。