大和先生 こんにちは。いつもお世話になっています、○○○○です。 『青春の落とし穴』から抜け出したい人に読んで欲しくて、自分の経験を交えて少しだけ書いてみたのですが、内容が正しくないと思われるならおっしゃってください。もし読んでくださって、GOサインなら、ずうずうしいですが先生のブログに載せてやってください。

文は以下です。

「自分の限界を知り認め受け止め許可することで、可能になること」基本的に学校は楽しいものではなかったと思います。一般とされる道からはみ出ることで落ちこばれたくないいじめられたくないという恐怖から嫌々行っていました。気は弱いが反抗心が強くとにかく夢見がちで目立ちたがり屋の人間だったので、相手に求めることが多く、本当に「友達」と言えるような友達は出来ませんでした。見えない重さにつぶされるような閉塞感に襲われ正直とても寂しかったです。教師や親が、納得できない形で何かをやらせようとするのが大嫌いでした。学生だと学校以外にまだ経験したことのない世界があることを知らないので、勉強・習い事・外見・他人からの評価・友達・家族・お金・社会的地位がすべてでそれ以外無い、自分の思い込みがさらにストイックな傾向を強めていました。毎日理想と現実の間でさまよっていました。自分が作った理想なのにも関わらず、実は他人目線が一番の基準であり、本当に自分が落ち着くものとはかなりぶれたものでした。あまりにも理想とかけ離れている自分は、おそらく世界で一番不幸なのだろうと思っていました。なんて可哀そうな自分!と浸っているときに、他の人に自分が一番不幸であることを否定されるのが腹が立っていました。お馬鹿な自己陶酔であることは他人から見れば分かりやすいのですが、これに気付くまでに相当長い時間を要しました。端的に言うとただ話を相手に否定されることなくそのまま聞いてもらいたいという思いが強くねじ曲がっていてそれが負の感情の連鎖を起こしていました。(ただ、素直に話を聞いてくれる人と出会える確立もなかなか少ないと思うのですが)夜は眠ることができず悪夢にうなされ、日中はこんなに毎日辛いなら若年で死んでしまいたいなと頭のなかで繰り返すことが癖でした。とうとう追いつめられて心身共に動けなくなり、誰か助けてと天井に向けて毎日手を伸ばしもがき続けても、遠くから白馬の王子様や魔法使いなど来たりしませんでした。その伸ばした手をある日しっかり握ってくれた手がありました。驚き気がついて見ると、自分のもう片方の手でした。最後まで諦めずにまっすぐ手を差し伸べてくれたのは、他の誰でもない自らでした。その時自分を初めて生きた気がしました。今まで、他人目線の理想を見るばかりをしていて、自分というものを全く直視することなくはぐらかしごまかし知らなかったのだなとやっと理解しました。もし息の詰まるあまりにも苦しい考えが頭をめぐって長い間辛い思いをしている人がいるならぜひ知ってほしいです。こうじゃないんだと理想とのひどいズレを感じているのなら、知らないうちに高すぎた設定を課しているかもしれません。高すぎるハードルは鍛錬でもなんでもなく、頭の上に落ちてきて怪我をするだけです。 自分の限界はだいたいここまでと知ることははっきりいって厳しい作業ですが、不必要なギャップに苦しむ負担がなくなり、かえって着実に一歩一歩を踏み出すことができ心身共に解放されます。ガチガチに縛っているのは、他人ではなく、自分自身なのだとどうか気づいて欲しいです。限界を認めることはただのあきらめではなく、他の広がる可能性をきちんと探すことができるスタートの入り口を発見したという大きなチャンスです。それはあなたが苦しんだ末自らの手でつかみ取った幸せだと大きく胸を張れることだと思います。

勿論すぐにゴーサインを出した。と言ってもお盆なのに沢山の人が電話やメールで連絡をくれ、3時頃までゴーサインを送れなかったのだが。まさにその様な人に読んで欲しいと思った。青春の落とし穴、又人生の落とし穴に落ちている人達にとって、盆も正月もない。寧ろそんなものいらないのではないか。季節を感じる余裕など無く、通り過ぎる時間を恨めしく見送っているだけの人達が多いのではないかと思う。完治を手にした人が、嘗ての苦しかった頃を振り返り、当時の思いを言葉にするのは、なかなかの重労働だと思うのだが彼女はやってくれた。皆さんと同じ視点から書いているから、僕の言葉をいくつ重ねても彼女の一言には勝てない。落とし穴からはい上がるために差し伸べられた手と思ってほしい。