赤穂線

 外国から仕事で来た人と、関西地方で中国地方出身の人が知り合い、外国に渡り結婚し、ご主人が海外出張になったので、その間を利用して帰国し、中国地方のある都市にある実家から、岡山県の南端の玉野経由でこれ又南端の牛窓を訪ねて来てくれた。書きながらさっぱり分からなくなった。何のことはない、ある女性と今日あう機会があった。10文字ちょっとで表される。  知的な職業に就いていた人だから、話が理路整然として色々な知識をもらったような気がする。特に30年、じっと薬局に留まって仕事だけしていたから、自分の知識に極端に幅がないことには気がついている。時々それが、えらい受けて場を和ますのに大いに役に立つくらいだ。意図的ではなく、根っから知らないことが多くて、それが受けるのだろう。そんな僕だから、外国の生活、価値観などはマスコミから収集する表層的なものとは違って生身の知識でとても興味深かった。若いときにもし同じような話を聞いていたら、その国を訪ねてみたいと思ったかも知れない。だが、今から思えば余り好奇心に富んだ人間ではなかったような気がする。行動の動機付けはいつも金がないの一言には勝てなかった。金がないことで全ての欲求を退け、金をその為に稼ぐという発想はなかった。無気力と横着を重ね着したような青春時代だった。  帰りに送っていった邑久駅で、彼女は今田舎の小さな駅の前についさっきまで見ず知らずだった夫婦と一緒に立っていることを感慨を持って不思議がっていた。何時何処に接点が転がっているかもしれない。良い結びつきをもたらす機会が何処に転がっているかもしれない。人生なんて不思議なものだ。今日から僕は彼女の今まで以上の幸せを祈る存在になるのだから。無気力と横着は未だ身につけているが、ローカル線を走る短い車両に消えていく旅人の幸運くらいは祈ることが出来る。