天気予報

 短い文章だったけれどとても嬉しい報告だ。まだ3日目らしいけれどお仕事に就いたらしい。「一歩踏み出すことが出来た」と自分の状況を表していたが、この一歩踏み出すことが過敏性腸症候群では一番困難で一番重要なポイントなのだ。僕が最も拘っていることを本人の口から出してもらえたので、もう安心だ。後は飛行機が離陸するように過去の辛かった症状から離れていくことが出来るだろう。セスナに乗っているかジャンボ機か、ロケットかの違いはあるだろうが。まさか今の時代にライト兄弟の飛行機に乗る人はいないだろう。 僕より少しだけ年下の方だが、恐らく持っている能力を繊細な心がオブラートで包み込んでいたのだ。勇気を出して飲み込んでしまえば、オブラートなんかすぐに溶けてしまう。あるがままの自分を晒せば周りの人も良いところを一杯評価してくれる。良いところも悪いところも併せ持っている人の方が、完璧な人より遙かに親近感が持てる。どんな礼賛の言葉よりその親近感の方が価値がある。人はいい意味でも悪い意味でも孤立して生きていくことは出来ないのだから。ありのままの姿でありのままの心で他者と接して欲しい。  その日偶然、東京のある女性が父兄会で麺類の何かを作って食べる会の世話役になったと電話をしてきた。もうすぐ学校に行くのだけれど不安だという。その女性は手が震える遺伝があり細かい箸使いが苦手なのだ。でも僕は知っている。彼女はとても魅力的な妻であり、おおらかな母であることを。自分の青春を萎縮させたのは果てのない自意識なのだ。青春以来ずっと引きずっている。僕と友達のように話す彼女は、100の魅力と1の欠点を天秤上で逆転させている。他者から見れば100の魅力しか見えない。でも自分は1の欠点が100に見える。誰だって同じことなのだ。「あなたは女優ではない。誰も見ているものか。欠点だらけの方が他の人は親しみを持ってくれるよ。雲の上のような人はつまらないだろう」といつもの言い回しをする。彼女はそれで又一つの挑戦が出来た。  たった1行の言葉に救われる。確率勝負の仕事ではなかなか達成感は味わえない。期待に添えれた人より添えなかった人ばかりのことが気になるのだから。せめて最近の天気予報ぐらい確率が上がればいいのだが、それは至難の業だ。元々お天気屋さんなのだが。