青空

 ほんのちょっぴり調子が良くなってきたと連絡を受ける。僕はそれだけで十分嬉しい。病気はよい方向に舵を切るのが一番難しく、いったん舵を切ることが出来れば後は、早かれ遅かれ完治に十分接近することが出来る。だから本人にとって見れば満足がいかない些細な変化でも僕にとっては嬉しい報告なのだ。僕は奇跡を起こす職業ではないから、掌を返すように病気を治すことは出来ないが、生薬の持っている生命力を旨く使えば人は自分の身体を修正することが出来る。  僕の薬を飲んでいる人達を病人だなんて考えたことがない。本当の病人だったら病院に行くべきで、お医者さんに全てを委ねるべきだ。自力で治そうとしている人達しか僕の所には来ないから、結構みんな元気だ。僕と比べたらみんな健康だ。薬局に来る人は病気と言うより不調くらいな表現の方が正しいかもしれない。特に気を病んで僕に接触してくれる人は単なる不調で病人ではない。悩む力を持っている人が、身体で苦痛を表現しているだけだと思っている。僕の手伝いは苦しみを身体で表現するのではなく、ちゃんと言葉で出して傷つかないことだと思う。いったん言葉で出してしまえば、言葉もそれについて出ていった不快な心も回収できない。その相手が僕が適任かどうか分からない。ただ一つその権利があるとしたら、人一倍心も体も強くないと言うところだろうか。  空は青空だけをもっているのではない。雪も雨も雹も星も暗黒の闇も、雲さえももっている。青空ばかりの空は空ではない。色々な表情があっての空なのだ。自然も生きているからこそ感動があるのだ。人生も青空ばかりを目指さないで。