白魚

 じっと手を見ながら「私の指が白魚のようならいいのに、これではなあ!」と嘆くのを聞いて思わず笑った。勿論本人も笑っている。 岡山市のあるところと言っても、とても岡山市とは思えないくらい無理矢理合併して市の一員を名乗る所から来る女性は、70才を越えているのだが、秋に行われる市長選挙を手伝う羽目になったらしい。あんなことはいやなのだと言いながらそれでも隔日に選挙事務所に詰め、来訪者にお茶の接待をしているらしい。なんでも立候補予定者の側近と懇意ならしくて、動員されているみたいだ。まんざらでもないと形容すれば話の展開としては面白いのだろうが、この女性は言葉に裏がない。いやがっているから、本当にいやなのだ。いやいや行っているのだ。立候補者が人間はいいがアピールが下手ではったりが必要な政治家には向いていないなどと、手厳しい。でも私情はなく客観的に良く分析している。具体的な話をいくつか教えてくれたが、勉強になる。  年齢には勝てないが、恐らく若いときは相当美人だったと思う。筋肉が弛緩して重力の虜になっているのは仕方ないが、それでもなおきりっと締まった顔をしている。最初に来た数年前には、ドスが利いているようでずいぶん抵抗があったが、その後信用してくれてわざわざ遠くから来てくれるたびに、ドスの利きは裏表がない言葉のせいだと分かった。その点では僕と共通項があるのか、今ではその人の住む部落は牛窓以上に僕の漢方薬の服用者の密度が高い。個性的で善良な人達を一杯連れてきてくれる。同年輩の遊び仲間が連れ立って薬局に入ってくるのは壮観だ。時代を生き抜いた強さが、肉体の悲鳴を超越している。  白魚のような指は今更無理かもしれないが、元白魚たちの残された人生が濁りのない日々であることに少しでも貢献できたらと思う。