「過敏性の自分も含めて自分が大嫌いで、自分も誰も信用してなくて、他人と自分を比べては卑下してたけど、バイトして学校がまた始まって好きな音楽を学んだり触れられるって思ったら‥なんだか嫌いではなくなってきた気がしてきました。他人と接触する事を恐れていたけど、30日に久しぶりに学校に行って、友達に会って話て笑ったり一緒に帰ったり‥なんだかそれだけで嬉しくて駅から家まで春を見ながら1人ポカポカしながら歩いて帰ってました(^^)」  こんなことを言っているが、本当は方言のとても魅力的な若者だ。自分で殻を破りさえすればきっと脱出できると思っていた。こんなに明るくて前向きな言葉を彼女から聞いたのは初めてだ。1年休学していたが、自分の意志で戻っていく。誰かに言われたのではなく、1年間外に出て他人と多く接触したことが彼女に勇気と客観的な判断力を与えたのだと思う。「春を見ながら」なんて、なんて素敵な表現だろう。以前の幼く見えた彼女からは想像できない。着実に成長している。若干の遠回りは敢えてした方がいいだろう。最短距離では目に触れるもの、聞こえるものが少なすぎる。  同じ日、「お父さん早く死ねばいいのに」と電話で言った女性がいる。その表現が可笑しくて二人で笑った。そんな会話で笑いあえるようになった。禁句が禁句でなくなったとき、彼女も又仕事に出てみたいと言いだした。パニクッて自分を制御できなかったのに、ずいぶんと落ち着いて魅力的な大人の女性に戻った。こんな会話で不調が治るのだから、僕の薬局の権威の無さが幸いしている。普通の人が誰でも来れる。来た人は僕を見て、自分より不健康でだらしなくて品がないと思う。それは正しい評価だ。そのどれもが僕にとっては居心地が良いものだ。逆を演じることなど出来ない。  春を見つけた女性も、春は過ぎ去った女性も僕にとっては希望だ。勿論家族にとっても。