振幅

 薬局を開ける頃、遠くから鶏の鳴く声が聞こえた。一番鶏ではないが、なんだか懐かしい声だ。今の時代に、鶏を飼っている人がいるのかと思うとなんだかほっとした。10円も出せば卵は買える。何を求めて飼う気になったのか知らないが、シャーッターを開けながら、鶏舎の臭いと逃げまどう鶏の姿と泣き声が思い出された。 幼いときに預けられていた母の実家では、毎日小屋に入り鶏を追い払っては卵を集めるのが小さな手伝いだった。今でも鮮明に鶏たちの動きや泣き声や臭いを思い出すことが出来る。飼っていた犬と猫と牛、一歩外に出ればカエルやメダカ、決して動物好きの僕ではないが結構生き物たちに囲まれて育っていたのだと思う。その結果がどうだと言うことは出来ないが、無機質な空間で、体温を持たない物達との共存では決して得られない大きなものを与えられていると思う。その体験はおよそ生産には反映できないが、少なくとも壊してはいけないものを壊さない大きなブレーキは得たのだと思う。学ばなくても何が大切かも身をもって知ったのではないか。  全てが合理的な判断や結果を求められ、振幅のない生活を子供の時から強いられていればいつかは破綻する。永久に順風満帆ならいざ知らず、嵐に遭えば忍耐に乏しいのは当然だ。揺れてこそつかめる価値観も多い。船酔いまではしなくていいが、ほろ酔いくらいは大いに経験しておくべきだ。