横着

 邑久駅まで送って、帰ってきた妻がしきりに「いい子だ、いい子だ」と言っていた。その感想に対して全くの異論がない。その言葉以外に適当な言葉も見あたらない。関西の大学から中国地方のある街へ帰省するついでに寄ってくれた。丁度寄り道が出来るような位置関係にあり、僕が誘ったわけではないが、機転を効かせてくれた。とても良い判断をしてくれたと思う。(電話やメールでの情報交換の何百倍の価値がある) もうそれこそ何人の人が訪ねてきてくれたか分からなくなったが、僕は多くの青年達のとても新鮮な心に触れさせてもらって、その都度感動をもらっている。普段接点の少ない世代の、それも懸命に不調に耐えて生きている彼らの赤裸々な姿は、多くマスコミに登場する見るからに低俗な青年像を一気に払拭してくれるだけの存在感がある。彼らに接するたびに僕は希望をもらう。 4時間くらい一緒に過ごせれたと思うが、僕は目の前にいる女性の病名を考えていた。本人が何かで見つけたのか、医者が診断したのか知らないが、過敏性腸症候群というのには属さないのではないかと思った。心療内科では精神安定剤を、回りからは気を強く持ってと叱咤され、どうして良いのか混乱していた。僕が4時間の間につかんだ像は、「機能が悪い」たった、それだけの結論だった。優しすぎるくらい素敵な女性だが、それが症状を引き起こしているとも思えなかったし(これはある問診で簡単に分かる)病気が潜んでいるはずもないくらいどこにでもいる現代的な女性だ(色白でスリムで冷え性)。10の能力を持った内臓がチョット横着をして6か7位の働きでさぼっていると言うイメージだ。持って生まれたものを全部出してくれれば、あの不快症状など無くなるのではないかと思った。 傍にいて誰もがホットするような個性の持ち主に、気が強い人間になんかなって欲しくない。いや性格などそんなにたやすく変わるはずがない。もし彼女がお腹のために変わったとしたら、1を得るために、100を捨てるようなものだ。お腹の悩みをいくつ重ねても、彼女の素敵な個性には勝てはしない。残念ながら自分の長所は見えずに欠点ばかりが見えるから、青春は時として残酷だ。その空虚な残酷さを伝えてくれる大人が回りにいたら、今頃彼女は都会のアパートに日が明るい内から閉じこもる必要はなかった。