睡眠薬

 親切でまた、勘の良い女性もいるものだ。おかげで我が家はてんやわんやだったのだが。 若い女性が車で中年の西洋人夫婦を連れてきた。奥さんがしきりに何か訴えるのに、その若い女性は2人を置いて帰ろうとする。てっきりこちらは通訳か仲間と思っていたのだが、全く関係ないそうだ。如何にも困っているように見えたので、車を止めてひらって来てあげたらしいのだ。何故うちに連れてきたのかというと、体調が悪そうにみえたからだそうだ。  僕は、外国の人とは日本語で話す事にしている。それ以外ではコミュニケーションがとれないから。話しかけると、ご主人の方が「私は日本語が話せません」と綺麗な日本語で答えた。これだけ見事に先手をとられると、もう手がない。恐らくこれだけ覚えてきたのだろうが、これは良い手だ。行くこともないだろうが、もし外国に行くようなことがあったらこの手を使おうと決めた。結局、娘と妻の3人で対応することにした。フランス人で当然フランス語と、英語、ドイツ語なら大丈夫という。僕は、岡山弁と東北弁と関西弁なら大丈夫と日本語で答えたが、そんなギャグが許せないくらい奥さんが懸命に何か訴えている。結局フランスで飲んでいた睡眠薬が無くなって、これからの旅行が楽しくないと言っているみたいだった。その睡眠薬の空き箱を持っていたので娘が確認すると日本でも汎用されている薬だった。ただ、それは処方箋薬だから、勝手に売るわけにはいかない。お世話になっている先生に連絡したら、その薬は持っていないと言って市民病院を紹介された。しょうがないから娘と妻が2人を車で連れて行った。  何とかこれで乗り切れたと思っていたら、何と4人で帰って来るではないか。帰ってきて、お茶を飲みながら、偶然焼いていたケーキまで出してテーブルを囲んで話し始めている。今まで回ってきた日本の名所を説明し、写真を一杯見せてくれた。又これから色々な国を回る予定も詳しく話してくれた。何故日本に来たのか尋ねてしまったものだから、何か知らないが難しいことを喋り始めた。若くして無くなった作家?に惹かれて来たと言っていた。その作家のファンみたいだ。ただその作家が分からなかった。何故か名前がなまるのだ。似ている人はいたが追求するほど言葉を知らない。ややこしい笑顔でごまかした。 恐らく僕らと同世代なのだろう。写真を見せてくれた。そこには30才の息子さんと24才のお嬢さんが写っていた。主人がしきりと娘に職業や年齢などを尋ねていた。そして名刺を渡して、是非パリに来るようにと促していた。ビッグハウスがパリにあるそうだ。どこの親も考えることはよく似ているなと思った。僕も尋ねてきた多くの青年に接するとき、息子や娘の相手にどうだろうかなどと思いながら話をしたものだから。  なんだかんだで2時間くらいいたのではないか。日本大好き。日本人も大好きと言ってくれたから、頑張ったおかげはあったのだろうが、日本語が全く分からない人の相手はさすがに疲れた。途中母が出てきて、日本語でかなり長い挨拶をしていた。あの度胸がないといけない。卑屈にも英語の単語を羅列するようでは僕もまだまだだ。主人より動物の方が好きという奥さんのために、裏からミニチュアダックス(モコ)をつれてきたら、モコは奥さんをなめまくっていた。奥さんはモコのなすがままにしていたが、積極的なのもいいのかもしれない。モコもヨーロッパの血が騒いだのだろうか。  娘が今日は新鮮な体験をしたと言っていた。田舎にいると変化の乏しい生活だ。変化がないイコール価値がないとは全く連動しないが、ちょっとした出会いにも感動を覚えるのが田舎の良いところかもしれない。親切が簡単に出来るメリットもある。親切にリスクが伴わないから。  相手がパリにビッグハウスを持っていようがひるむ必要はない。僕は今までビッグマウスで生きてきたのだから。負けない負けない。