昼食

 急に倉敷市の水島教会に行くように言われて、意気揚々と出ていった。以前行ったことがあるので、十分余裕を見て出ていった。昼ご飯は教会の近所を探して食べればいいと思っていた。バイパスを走っていると案内標識が水島を告げる。しかし、以前降りた道とはなんだか違う。2カ所目の標識で意を決して降りた。水島を通り過ぎる可能性があったから。  記憶を頼りに探せば何とかなると思っていたが、目的の町にすでに入っていると思われるのに、全く記憶にある町並みと遭遇しない。1時間の余裕はあったけれど、何となく不安になって、道行く人達に尋ねてみた。ある人は知らないと答え、ある人は漠然とした答えをしてくれた。結局偶然見つけた交番に入り、交通指導員という人の世話になった。恐らくボランティアで道案内をしているのだろうが、これが残念ながら頼りなかった。それでもある程度まではその方の説明で近づけた。結果的には開会の時刻2時ぴったしに門をくぐれたのだが、1時間後に出発したはずの神父様と同時に着いた。10人以上の人に尋ねてたどり着いたのだが、決定打は、クロネコヤマトの運転手さんだった。ある建物の前で荷物を配達しているのを見つけて、尋ねた。地図帳を取り出し、路地の1本も間違えることなく教えてくれた。車がすれ違えない細い道沿いにあったので、的確な教えがなければ、たどり着けなかったのではないかと思う。  夕方会合を終え、今度は岡山の標識を頼りに帰り始めた。するとすぐに、倉敷美観地区の標識が現れた。以前は倉敷の中心部からかなり遠くの教会に行ったはずなのに、こんなに短時間でこの辺りまで帰ってくるのはおかしいとその時初めて気が付いた。以前行ったことがある教会は、玉島教会なのだ。だから道中も、教会の中の雰囲気も異なっていたのだ。それなのに、全くの思い込みで、異なる町でありもしない風景を必死で探していた。倉敷に複数の教会があるとは知らなかった。何を過信していたのか自分でも情けないが、せめて1時間の余裕を見て出発していたのが幸いした。  教会で失敗談としてこの話をすると、ナビが付いていないんですか?と真顔で尋ねられた。決まったところにしか行かないし、日曜日しか出かけることもないので、そんなものいらない。ナビも携帯も必要ない。紙と鉛筆、それに10円玉があれば足りる。僕のために石油や希少金属を浪費してくれなくてもいい。僕のために廃棄物を作ってくれなくてもいい。門で鉢合わせした神父様が「大和さん、お昼ご飯食べましたか?」と尋ねてくださったことのほうが余程心が豊だ。それにしても何故浩昼食をとっていないことが分かったのだろう。