コーヒー

 便利なものがあるものだ。簡単に美味しいコーヒーが作れる。それもあっという間に。いわば自動販売機の家庭版みたいなものだ。漢方薬を作る時間待ってもらうのが気の毒だから、今日ある方に僕が作って出してあげた。するとその中年女性の方が「美味しい」と大きな声を出して喜んでくれた。その喜びようにこちらも嬉しくなった。その方の職場の近くに美味しいパン屋さんがあり、コーヒーを飲みながらパンをいただくらしいが、そのお店より美味しいと言ってくれた。お世辞かどうか分からないが、恐らく僕がコーヒーカップを持って現れたから、そちらの方がインパクトが大きかったのかもしれない。コーヒーの香りよりも味よりも、運んできたホンダのロボットみたいな人間の方が滑稽で味わいがあったのかもしれない。 学生時代、食費はなかったが、毎日一杯のコーヒー代とたばこ代とパチンコ代はあった。生活費ぎりぎりだけバイトで稼いで、何とかしのいでいた。今思えば不思議なのだが、どのくらい稼いでどのくらい使っていたのか分からない。何を想い毎日暮らしていたのかも定かではない。どこに向かっていたのかも分からない。みんなが授業を受けている時間、繁華街のジャズ喫茶に行き、コーヒー1杯で2,3時間ねばり、およそ薬学とは関係ない文庫本を読んでいた。人の顔がやっと見えるような暗さの中で、むなしくページを捲っていた。その後は、決まってパチンコ台の前で数時間過ごしていた。自己嫌悪との戦いはいつも敗れて、不健康な身体を不健康な精神が串刺しにしていた。  賛美する青春時代は僕にはない。混沌の中で沈殿していた。青春に特別な意味を持たせるな。持てば空しさにつぶされる。前線が運んでくる湿った空気、所詮そんなカビ臭い時代でしかなかった。