口先

 漢方薬を作っている間に出たり入ったりしているから落ち着きがない人だなあと思っていた。その理由は薬を渡してから分かった。会計までの一応の作業がすべて終わってからその方がおもむろに袋の中から20cm×25cmくらいの小さな畳を取り出した。小さいけれどれっきとした畳なのだ。それを店内に飾っているクリスマスツリーの下に敷いて「和洋折衷もいいでしょう」と言った。言われるとおり、小さな畳の上に小さなツリー、結構趣がある。80歳を過ぎて引退したらしいが、実は畳職人だったのだ。なるほど小さくてもれっきとした立派な畳で、余計なことをしゃべらない寡黙さが職人を感じさせる。もう一つ僕にくれたものがある。岡山市西大寺地区の電話帳だ。変わったものをくれるので理由を尋ねると、そのエリアの電話帳配布を引き受けてしているらしい。恐らく余ったものなのだろうがとてもきれいで、ありがたかった。と言うのは岡山市だが南部の西大寺地区からわざわざ漢方薬を取りに来てくれる人がとても多いので、その辺りの地理や特徴を知りたかったのだ。地区の宣伝みたいなものも載っているから参考になりそうだ。何を思って、と言うより、長年培った職人の勘で僕に必要なものが分かったのだろうか。出たり入ったりを繰り返していた老人の、心の中を覗いてみたかった。きっと遊び心に溢れた温かいものに違いない。マスコミにいやになるほど露出するおしゃべりな無能者達よりはるかにおもしろい。  こんな方の生き様を重ねて今があると思う。とてつもないリーダーが現れてこうなったのではない。どこにでもいるごく普通の人の懸命が実を結んだだけなのだ。堅実な果実の上前を今、口先だけがはねようとしている。