消しゴム

 「こんなに沢山買って恥ずかしい」と言いながら、その女性はしょうが湯を5袋買った。1袋に5つ入っているだけだから恥ずかしがる数でもないのだが、少し照れていた。その女性にはちゃんとしたもくろみがあったのだが、単に甘党と思われるのをいやがったのだろう。  数日前、彼女が風邪の漢方薬を取りに来たときに、待っている時間にしょうが湯を作って飲んで貰った。それが風邪の回復を早めたのを感じてくれて、今日買いに来たらしい。しかし、今日のは自分が飲むためではなく、乳飲み子のいるお嫁さんがインフルエンザにかかって熱が出ているから何か手助けしたかったらしい。離れて暮らしていて、息子さんの要請で看病に行ったらしいが、「義母さんに移しては気の毒だから帰ってください」と言われたらしい。僕は良くできたお嫁さんですねと言ったら、「寂しい」と言っていた。 難しいものだ。何か世話をしてあげたい新米おばあちゃんと、気兼ねで好意を受け入れられない新米母さんと、どちらにも善意があるからややこしい。反発しあっているなら義母さんに心残りはないのだろうが、せめてしょうが湯を届けるくらいしかその心残りを消す手段は見あたらなかったのだろう。  人は心に絵の具を一杯持って、夢や希望を様々に思い浮かべ描いているが、悲しい出来事を消す消しゴムは持っていない。消してしまいたいような想いは宇宙の塵のように一杯心の中に浮遊している。良く消える消しゴムを持っている人はひょっとしたら、多くを描ける人より幸せかもしれない。