火焔

 もう充分明るくなった東の空に、島から吹き上げるように火焔が立った。遠くからうっすらと火山の噴火を見ているようだった。太陽と雲がなせる技なのだが、どのような天文学的な偶然が重なってその様な光景になるのか分からない。見たこともない不思議な光景だった。わずか数分の出来事だったが、気の利いた人だったら、カメラに納めるか、携帯で写真を撮るかもしれない。ところが僕はその両方を持っていない。カメラは写すことも写されることも嫌いだし、携帯は不便だから持たない。景色の一部を閉じこめることにも抵抗があるから、見たままを言葉で表現しようとするがそこは素人のつらさで、皆さんには少しの感動も伝わらないだろう。  自然あふれる町で暮らしているから、自然のことを敢えて意識することは無かった。ところが、感性を働かせると、意識の外にあったもの達が、呼吸していることに気が付く。歴然と存在しているものに、存在を与えるのは不器用ながらの感性なのだ。磨いたことのないものだが、全く失っていたのではなかった。外に出てみれば、驚きがあふれている。シャッターを上げたり降ろしたりするだけが1日の外気との触れあいを30年も続けてきたから、自然の中で暮らして自然を知らずに生きてきた。自然を感じることと、知ることは次元の異なるものだと思う。  薬剤師でありながら、体によいことはほとんどしなかった。体も心も不自然を克服して生きるにはもう年をとりすぎたことをこの1ヶ月で学んだ。朝は朝、昼は昼、夜は夜であるべきだった。いくら頑張ったって、夜を朝には出来なかった。我ながら浅はかなものだ。