卵焼き

 今日は、朝から忙しくなるのが分かっていたので、妻は母に皆の昼食を頼んでいたらしい。母の久しぶりの卵焼きを食べた。塩がよくきいていて、固くまいているのでおかずになる。この味が大好きで、お蔭で卵焼きに関してこの味の上に出るものを知らない。プロが作ったものは味が薄くて頼りないし、素人の作ったものも砂糖が優性になりすぎて、おしょうゆをかけないとおかずにはならない。この味に近づけるように頼んでも結局は誰も作れない。別に僕のために味付けを研究する必要もないので誰も研究はしてくれないが、いつかバレーの試合の打ち上げの時に、皆に披露したが、女性達に別段受けなかったので、味は個性の範疇だから押し着せがましいのはよくないとその時悟った。僕にとっておふくろの味とはまさにこの卵焼きの味かもしれない。  あの時代の人の特徴かもしれないが、とにかくよく働く。自分の楽しみを優先させたことなどないのではないかと思う。全ては子供のためだったのではないかと思う。何かを子供に残そうとしたのでもなく、何かを子供に伝えようとしたのでもない。ただひたすらに、舅や姑を大切にし、子供を健康に育てようとしただけなのだ。その結果が、僕ら5人兄弟の今だから、別段自慢するほどの結果でもないが、おそらく5人が5人とも、かなり母を大切に思っているのではないかと思う。照れくさくて誰もそんなことをおくびにも出さないが、自然とそれは分かる。  もう兄弟の誰もが記憶の中の母の年令を超えた。いつまでも元気でいるような錯覚の中で毎日母をこき使っている。これが最高の親孝行だと思っている。母は現在でも、なくてはならない働き手なのだ。卵焼きを焼くだけではもったいなさ過ぎる。まだまだ人様のお役に立てれるのだから。