せせらぎ

 法事がそろそろお開きになる頃、母がみんなの前で膝をつき、先に失礼する挨拶をした。それまで宴もたけなわのにぎやかさがぴたりと止んだ。弟が養子に入り20数年、義父が亡くなり、今年の桜が咲く頃義母も亡くなった。「こちらのお父さん、お母さんが亡くなり、息子が家を支えなくてはならなくなりましたが、なにぶん頼りないもので、みなさまの力を貸して頂かなければなりません。これからも宜しくお願いします」畳に頭を深くこすりつけていた。老いても母は母。50を過ぎた息子のことを親類一同にお願いする姿に、母親というものが持つ愛情の深さを感じた。その姿に感動したのか、一同が拍手をしてくれた。そしてみんなが玄関まで見送ってくれた。  母には少しは分かるのかもしれないが、僕には誰が誰なのかさっぱり分からない。葬式と法事に会うだけの関係だから、会話もしたことがない。ただ、今日は、親族って感覚が少し分かったような気がした。僕の両親はどちらも兄弟がいないので、親類がとても少ない。子供の時は、我が家と同じように育った母の里くらいしか親類を知らなかった。親族が多いことの煩わしさを店頭で聞く機会が多かったので、今日の経験は意外だった。  お墓までを、田圃が広がる景色の中を歩いた。県道からかなり入ったところだったので車の音もしない。時折聞こえる鳥の鳴き声に混じって、チョロチョロと流れる小川のせせらぎの音を聞いた。何十年ぶりに聞く音なのだろう。母の里と同じように田圃が広がるその町で、記憶が何十年もタイムスリップした。そこには人生を歩み始めた夢多き少年の姿はなく、無精ひげを烏に笑われる喪服姿の僕がいた。