夫婦でやってきて、「先生に足を見てもらってごらん」と奥さんがだんなを促した。だんなは、少し耳が遠くなったのか補聴器を使っている。だんなが足を見せる為にズボンを上げたところで二人を思い出した。数年前、尋常性乾癬を漢方薬でお世話をして完全に治した人だ。以来久しぶりに来た。足は当時のまま全くきれいな状態を保っていて、まさに完治だ。ひとしきり当時の話をした後に、奥さんが「今日は先生に無理なことをお願いに来た」と言った。「無理がわかっているなら言わないで」と冗談で返そうと思ったが、真剣な眼差しに圧倒されて僕はかまえてしまった。  3ヶ月前、だんなの大腸ガンが発見されたらしい。手術はしたらしいが、ほとんど具体的な話はなにも知らないので、ひょっとしたらおなかをあけてそのままだったのかもしれない。そして寿命は、あと3ヶ月といわれたらしい。まさに今日が3ヶ月を過ぎようとしている日なのだ。僕へのお願いは、なんとか長生きさせて欲しいと言うのだ。医者が3ヶ月といったらほとんど3ヶ月で亡くなる。目の前にいるだんなは以前ほど太い声は出なくなっているが、時折笑顔も見せる。今日かもしれない、明日かもしれない命の人が笑顔をだせるなんて、なんて人間は強いのだろうと思った。  僕は奇跡なんか起こせない。田舎の単なる薬剤師だ。分相応の仕事をさせて頂いているだけで、無理はしょうに合わない。中には難病ばかりを相手にするカリスマ薬局もあるが、そんな心臓に毛が生えたようなはったりは出来ない。ホスピスから外泊を許可されてやってきただんなに僕は何が出来るのだろう。僕は過剰に明るく振舞う奥さんと、不器用に平静を保っているだんなの両方を見ながら、元気に亡くなってもらおうと考えた。嘗ての皮膚病で信用を得ているらしいから、夢を持ってもらい、ガンではなく、肺炎くらいでころっと苦しまずに亡くなってもらおうと思った。結局僕が作ったのは元気薬なのだ。お役に立てるかどうか分からない。でも薬剤師が出来ることなんかここまでだ。医者の領域に踏み込むことは許されない。所詮、薬剤師に太刀打ち出来るものではない。  二人して、喜んで帰ってくれた。後ろ姿を見て、奇跡は起こせないが、奇跡を望んでしまう自分がいた。