栄養士

 どこの学校にもあるのかもしれないが、保健委員会と言うのが毎年一度各学校毎に開かれる。牛窓に帰ってきて父に替わって学校薬剤師というものを引き受けて、環境に対する助言などを行っている。学校関係者、父兄の代表のほかに校医と歯科医も出席する。今日学校に行くと、内科医が息子さんに代わっていた。今まではお父さんでなかなか温厚な方なのだが、現代の親の育て方には厳しい方だった。息子さんと言っても僕と余り年令は変わらない。息子さんはお父さんに輪をかけたくらい温厚な方で、先生方も喜んでいるだろう。怒られなくてすむから。  もう一人、今日替わった人がいる。栄養士の先生だ。彼女はいくつになったのだろう。薬局の前をランドセルを背負い一列で登校していた光景を覚えている。ついこの前まで小学生だと思っていたのに、いつのまにか立派な先生になっていて、専門知識を生かした指導はなかなか大したものだった。会議が終わってから歯科医も同じような感慨を持ったのか彼女に声をかけていた。僕よりも家が近くだからきっと赤ちゃんの時から知っているのだろう。  なにも出来なくても、涙を流すだけでも、笑うばかりでも一日は過ぎていく。良い日にしようと思ってもなかなか満足の行く過ごし方は出来ない。後悔を積み重ねて、惰性の荷馬車に乗っても歳月は過ぎていく。あの幼い子が、こんなに立派な職業婦人になった。彼女の成長の歳月は、そのまま僕にとっては停滞の、いやいや退化の歳月だ。得たことよりも失ったことの方が大きいだろう。何もかもやがて捨て去るのに、人の愛とか、優しさとか、親切をうかつにも欲しがったりした。本当は全て与えるべきものだったのに。