もち米

 夕方、漢方薬を取りに来た年配女性が声を落として教えてくれた。薬局内に旅行客らしい若いカップルがいたから気を使ったのだろうが、別に声を落とす必要はない。気を使っている割には話しきってからでないと帰らないぞと言う気迫が感じられたから余程優越感をくすぐられたのだろう。  今日、ある地区で子供会の餅つき大会があったらしい。その人の住む地区みたいだ。その人は、子供会とはもう縁がないから聞いた話なのだが、餅をつき終わってからなんともおかしな餅が出来あがったらしい。餅とは言えないのかもしれない。餅を目指してついたのだが、餅にならなかったのが真相らしい。うすの中でぱさぱさとしてくっつかなかったらしい。そのうち皆で考えていたら、ある親が、「ごめんなさい、お餅はもち米から作るとは知らなかった、普通のお米をもってきて混ぜた」と言ったらしい。その後の話の顛末は知らないが、「今の若いのは・・・」と言う、お決まりの優越感で締められた。  僕は、餅をもち米で炊いてつこうがつくまいが興味はなかった。さもありなんと思ったし、僕でもやりそうだと思った。都会の人にとっては、牛も豚も鯨もマグロも単なるトレーの中の肉片でしかない。生活している姿を実際に見たことがないのだからそれはそれでいい。ただ、無知でいることが許されない分野がある。次の世代を守るという分野だけは無知であってはいけない。それが今日の話題のように食の分野かもしれないし、助け合い分かち合うと言う分野かもしれないし、傷つけない、殺さないと言う分野かもしれないし、蔑まない差別しないと言う分野かもしれない。教育を叫びながら返す刀で大衆の無知を喜ぶ人達がいる。無知と無関心はその手の人達を援護する事になる。  僕らの世代は幸運にも大過なく過ぎようとしている。せめてこの程度の時代を残さなければ申し訳ない。無関心が無知の世代ヘバトンを渡そうとしている。