今週は、多くの涙を見て、多くの涙声を聞いた。こんな僕で申し訳ないと思う。もう少し薬学的な知識があり、人格を備え、心身ともに健康ならその涙を受けとめて上げられるのだが、僕にはそのすべてが欠けている。僕にあるのは、そのどれも手にすることが出来なくて、それでもなお、皆さんの傍にいたいと言う気持ちだけだ。涙の主と話をしていると、僕と寸分違っていない青春の落とし穴に落ちた経験を持っている。そこから幸運にも這い上がれた僕が、皆さんの涙が分からないはずはない。分かりすぎるくらい分かるのだ。でも僕は一緒には泣かない。僕の現在の仕事は、漢方薬を使ってそこから這い上がることを助けることだ。慰めることは簡単だ。一緒に涙することも簡単だ。しかし、治癒には心地よいカウンセラーは必要ない。それはプロフェッショナルにまかせて、僕は事実を提示する。いや事実であろうことを提示する。耳に優しい言葉、居心地のよい癒しの場は必要ない。寧ろ病気の状態が居心地悪い方がいい。そこから早く脱出しようと思ってくれるから。  涙を見せる。自分の弱みを見せることはとても大切だと思う。僕はこんな人間です。誰か助けてと訴えることは必要だと思う。悲しかったら泣くのが当たり前だ。楽しかったら笑うのと同じだ。何ら非難される事はない。周りの人の善意を信じて欲しい。ほとんどの人が善人なのだ。悪いニュースばっかり見ているから、悪意に満ちた人ばっかりと錯覚しそうだが、圧倒的に善意ガ勝っている。  いつか体調が改善して流した涙の何倍も笑える日が来るといいな。きっと来る。人間は生き延びるように進化してきたのだから。治癒力を信じて、涙と共に苦しみを流して欲しい。