隣の席

 いつも数人の男と行動を共にしていたから、全く自由だった。何故か同輩に気のあった人間がいなくて、先輩と後輩だった。アパートは3畳一間に、刑務所のような洗面器が1つあっただけだ。30人くらいのアパートに小さな風呂が2つあっただけなので、順番を取るのも面倒だから、滅多にはいれなかった。さすがにTシャツは洗っていたような記憶があるが、ジーパンは洗わないものだと何故か信じていた。ジーパンも洗うものだと分かったのは、牛窓に帰ってからだ。そうズック靴も同じだ。洗った記憶がない。  真夏に半月くらい風呂に入らなかったことがある。5年間髪を切らなかったその風貌も手伝ってか、いくら混雑していたバスでも隣に人は座らなかった。浮浪者より浮浪者みたいだったから随分助かった。いまでもそうだが衣服には全くお金がかからない。ご飯に塩をかけて食べ、誰もが嫌うアパートに住んでいた。お金なんか本当に要らなかった。街を歩けば、「にいちゃん、いい仕事あるで」とよく声をかけられた。  5年間、自己を壊しながら創った。随分と楽になった。身軽になった。あらゆる規範を拒絶した。本当に不自由で自由な5年間だった。  その延長に今はない。僕の体のように無駄なものが一杯付いてしまった。精神も贅肉だらけで研ぎ澄まされることはない。体を一寸こすれば垢がよれていたあの頃のように、今は心を少しこすっても垢にまみれてしまう。人に見えるところをいくらきれいにしても、人は寄って来てはくれない。隣の席はいつまでも空いたままだ。