ブロッキング

 薬局の月末の仕事に、調剤報酬の請求事務というのがある。処方箋による調剤報酬を国に請求するのだ。僕の薬局はそんなに沢山の処方箋調剤をするわけでないので、数時間頑張ればなんとか終わる。まずパソコンで1ヶ月分の調剤記録を紙に印字して、そこから手作業が始まるのだが、パソコンが途中でおかしくなって、作業の最初の部分で躓いてしまった。パソコンが文字化けを起こしてしまったのだ。僕はかなりの機械音痴だから、それを回復する能力はない。処方箋調剤のパソコンを斡旋してくれた薬の問屋さん(エバルス)に電話すると、担当の方が回復の方法を教えてくれた。僕はこの世界の単語を全く理解できないので、彼にとっては僕にロシア語を教えるくらいに困難な作業だったに違いない。しかし、彼は創造力を大いに発揮し、電話の向こうであたかも彼自身がパソコンを操作しているがの如く僕を導いてくれた。彼の誘導の結果、それも何種類かの挑戦の挙句やっと文字化けが回復した。僕はこの種の会話、作業では必ずブロッキング(拒絶)を起こすのが常なのだが、何故か今回だけは自分でブロッキングを起こさないように意識した。僕の薬局で処方箋調剤事務が僕だけの担当と言うことがその理由だと思う。もし僕がブロッキングを起こし、努力、忍耐を怠りパソコンが回復しなければ、薬局の仕事全般にまで影響が及びよい仕事が出来なくなる。電話の向こうの若い社員の寛容な誘導、専門用語を極力避けてくれた分かりやすさに多いに助けられた。  何にでも興味をひかれ挑戦するのは若さの特権かもしれない。省みれば、息子が小学生の高学年くらいになってから、僕のブロッキングが始まった。息子はとても器用だったから、新しく購入した機械類を自由に操ることが出来た。子供の特徴かもしれない、説明書も読まなくて機械が使えるのが。父から息子に役割が変わる頃があぶない。  機械はさすがに諦めることが出来るが、その他の分野のブロッキングは許されない。時代がよい方向に向かっているとはとても思えないから。「多く集めたものも余ることはなく、わずかしか集めなかった者も、不足することはなかった」こんな時代がいつか来るのだろうか。