気の巡り

 九州から牛窓に20数年前に嫁いだ女性がいて、何かにつけて僕を頼ってきて下さる。つい10日前も、里のお母さんが転んで内出血を起こしているからと言われて、漢方薬を送った。今朝、その女性がやってきて、お父さんの癌が悪化して、痛みで苦しんでいるから、薬を作ってと頼まれた。スタッフに煎じ薬を作ってもらっている間に僕はその女性と話をしたのだが、とても示唆に富んだ話だった。彼女の話の本質は、まさに僕が作ろうとした処方そのものだったのだ。彼女はそんな理屈はわからないだろうが、彼女が経験した出来事こそが、漢方薬の目指すところなのだ。  彼女の話をかいつまんで紹介する。癌が悪化したので、顔を見せてあげてと実家から連絡が入って、彼女は久しぶりに実家に帰った。90歳になったお父さんは、軍人上がりでとても我慢強い人らしが、さすがに癌の痛みには耐えづらくて、襲ってくる痛みに声を何度も上げていたらしい。彼女は、身体をさすってあげていたらしいが、さすっている間に、むくんでいた顔がしぼんでいったらしい。食事も美味しく食べたし、なによりも聞こえなかった耳が、大きな声で語りかければ聞こえるようになって、会話が成り立つようになったらしい。そして心からうれしそうな顔をして、毎日看護していた人達が、娘の力に驚いたそうだ。それこそ僕が作ろうとした「気」の巡りをよくする漢方薬そのものなのだ。彼女は存在だけでそれをやってのけた。悲しいかな遠いので、いつも一緒にいて上げれないけれど、父親に対する娘の存在の大きさが伝わってくる。これは世の大多数の父親に共通する想いなのだ。  科学が発達して、解明されないものは全て不可解なりの世界に追いやられる。でも、まだまだ僕らの身の回りには、科学にあがなって、神秘の世界を保っている分野がある。それを失ったら、僕らは単なるひ弱な時限式のサイボーグだ。