ためらい

 僕はまだ死後の世界を想像できないから、究極の不安から解放されないでいる。もし、その先に天国が確実に待っていてくれるなら、きゅうきゅうとして今を生きる必要はないのだが、確信を持てない分、いつまでも謙虚でおられる。究極の答えを与えないのは、人間を傲慢から守る唯一の砦なのかもしれない。  ただ、天国はこの世俗の世でも感じることは出来る。天に上るくらいの幸せな出来事や、思わず感動に涙を流す瞬間に、僕らは天国を垣間見るのではないか。  多くを与えられている人がいる。学力、能力、財力。それらは他人を自分にひれ伏させる為に使われていないか。本当に立派な人は、人につかえる者だ。高い地位にあるものは、自分で使う能力も授かったことを感謝して、人を自分のための道具としないでほしい。  果たして、僕らは人をどれくらい許してきただろう。そしてその何倍許されてきたのだろう。与えること少なくして、与えられることばかり考えているのではないだろうか。自問は目が覚めた時から始まり、眠りにつくまで繰り返されるが、今1歩の勇気を躊躇うことにより、後悔ばかりがうずたかく積み重ねられる。