錯覚

 昼食で15分、4時45分から15分が、僕の休憩時間だ。4時45分からの休憩は勿論「水戸黄門」の最後の印籠の場面で、悪代官を水戸黄門が成敗する。弱きを助ける場面だが、ここで僕は毎回ほろっとする。このほろが意外と体調にはよくて、たった15分の休憩でも結構体力は回復し、その後閉店まで頑張れる。
 今日みたいな日は、若夫婦に遠慮することなく最初から通して見ることができるから朝から楽しみにしていた。ところが今日の新聞には水戸黄門が載っていなかった。それどころか、どのチャンネルも何かの儀式のことで横並びだった。こんな日こそか弱き庶民の味方のドラマくらい流してくれればいいのに、庶民とは程遠いような番組ばかりだった。勿論僕はその手のものは苦手だから見ないが、水戸黄門がなければ休日の価値は半減する。おかげで?休日にもかかわらず入ってくる漢方相談のメールに集中して答えが書けた。
 その家庭から質素にと言う声が上がっているのに、どうやらそれで儲けようとするアホコミや、それをまたぞろ自分の欲望のために利用しようとする汚部のせいで、本来近くなるはずの存在がまたまた遠ざかる。およそ下々の人間がまるで親戚にでもなったかのように錯覚している。
 おめでたい国民だ。手玉に取られていることに気がつかない。仕組まれた土俵に気がつかない。どれだけのものを失えば気がつくのだろう。