定期公演

 終わった瞬間からもう翌年のことを心待ちにするのだけれど、今日はその瞬間一抹の不安が襲ってきた。確かに今日の備中温羅太鼓のコンサートも、例年のように安定した実力で楽しませていただいたのだが、聴いていて頭に浮かぶものが多かった。太鼓を打つことの出来ない全くの素人だが、この10年くらい毎年20回近く和太鼓のコンサートを聴きに行くお宅としては、出来のよしあしを始め感じることは多々ある。
 今日感じたことは、まず一つ目が打ち手の人数が圧倒的に減ったこと。曲によって打ち手を分散させているのかと思っていたが、最後の曲、備中温羅太鼓の代表曲の「温羅」を聴いて確信した。明らかに打ち手が減っている。以前は舞台を埋めるくらいの鬼と神主がいて、双方戦いを繰り広げたものだが、今日は太鼓が1列しかなく、以前を知っている人間なら迫力不足はいがめない。元々この程度の規模の地方都市でよくもこんなに打ちが集まり高度なテクニックを駆使し、充実した演奏が出来るものだと感心していたが、ついに打ち手不足の時がやってきたのかと心配している。そしてその打ち手不足が恐らく選曲にも影響していて、かつてのように太鼓の皮が破れるのではないかと言うくらいに激しく打ち鳴らす曲が少なかった。どちらかと言うと静かで、テクニックに走りすぎ、いや走らざるを得ないような感じだった。聴いていて自然に体が動き、奇声に似た声援を思わず上げ、割れんばかりの拍手をすることが今日はほとんどなかった。和太鼓の最大の魅力は心臓を破るほどの大きな音によるリズムだ。激しく正確に打ち鳴らされるあの音に、心が解放される。
 今日のパンフレットの間に「打ち手募集」と書かれた黄色の紙が挟まれていた。地方の町で文化を残すことは非常に難しい。岡山県で唯一定期公演が出来る備中温羅太鼓を消してはいけない。