後悔

 ひょっとしたら後悔しなくてもよいのかと思うようなことが今日あった。それもたて続けに。  偶然だろうが耳鳴りと難聴の両方を持っている人の相談が続いた。2人とも僕と年齢が近い人たちだった。2人の共通項はオートバイに乗ること。特にひとりの男性のほうはオートバイと言っても相当大きいもので、おもちゃみたいなので今日は来たと言ったが、興味があったので「原付でブルーハイウエーを通ってきたの?」と尋ねると、さすがに原付で準高速道路は無理らしくて125ccと答えた。若い時には7半に乗っていたらしいが、最近は2300ccに乗っていると言った。その数字は定かではないが、そう聞こえた。およそそのくらいだとすると普通の車より大きい。「車より大きいじゃない」と言うと、自尊心をくすぐられたのかいい顔をして「岡山県には3台しかない」と教えてくれた。僕は当然その種のクラスのものを見たこともないから単に想像してみるだけだが、想像するにも頭の中にデーターがなさ過ぎた。  その男性は職業が船乗りだから、職業的に騒音にさらされるみたいで、若いときから仕事が終わると当分耳がおかしかったらしいが、今はすっかり持病になった。いわゆる音響性難聴と言うもので職業病だ。仕事と趣味で騒音にさらされるのだから耳鳴りがしたり聴力が落ちても仕方ない。僕も大きなオートバイに乗りたかったが、連続してきた相談者を見ていたら、危険ゆえに免許を取らずにいたことが幸いしたのかなと思った。  そこからずっと疑問に思っていたことまで想いが波及した。と言うのは和太鼓の打ち手たちの聴力だ。コンサートに行きあまりにも席が前過ぎると、心臓が痛くなるほど音が響く。そのくらいだから当然耳にも負荷がかかっているはずだ。もう一人の男性の耳鳴りと難聴が、ウォークマンだと言っていたから、太鼓はウォークマンどころの比ではない。思わず顔を横に向けて音の波が直接鼓膜に響かないように席が前のときは工夫するが、打ち手は毎週あの音を間近で聞くことになる。あの人たちの聴力は大丈夫か、耳は鳴らないかといつも思っている。  「僕が人生で遣り残したこと、それはオートバイと和太鼓」多くの人にそう言ってきた。しかし、ひょっとしたらそのおかげで失うものを防げたのかもしれない。後悔が今になって消えてくれた。