偶然

 偶然といえば偶然だが、姉弟だから偶然でもないか。  かの国の女性が、今日玉野教会で洗礼を受けた。なんらその霊的なことに影響を与えていないが、僕のおせっかいがこのめでたい出来事につながったのは間違いない。10年くらい多くのかの国の人を世話していた延長だ。その中で偶然教会に連れて行き、偶然同じ国の神父様に会い、玉野教会の信者さん達の親切に触れたことで決心したのだと思う。一人の人間がクリスチャンになることに、僕ごとき不良信者が貢献できるとは思わなかった。  洗礼式を兼ねたミサの後パーティーがあったが、最後は若者向けのゲームになった。チャンスとばかり早々に教会を後にし、母の介護施設に行った。冬用の着替えの服を届けなければならないことと、早く帰宅して台風に備えたかったのもある。いつものように受付を済ませて入居者が一堂に集う大広間に入っていくと、2人連れの女性と目が合った。一瞬判らないと言うか、判断する時間が必要だった。0.何秒かしらないが、反射的に判ったとは行かなかった。それはそうだろう、千葉県に住む姉がそこにいるのだから。全く予期せぬことにはタイム差があるのだと今日悟った。もっとも、姉のほうが少し僕より時間がかかったような気がするから、皆同じかもしれない。  私用のついでに母を見舞ってくれたみたで、あえて僕に時間など知らせてくれていなかったから、全く予期せぬことだ。娘だから母を見舞ってはくれるが、なにぶん遠くだからそんなにしばしばとはいかない。逆に僕は、しばしば岡山に出かけたり、玉野教会に行くから寄れるチャンスが多い。それでも、偶然僕がゲームを忌避しなければ会えなかった。あの時僕が少しばかり我慢して、妻やかの国の女性達を待っていたら会えなかった。あの判断を何がさせてくれたのだろうと思ってしまう。理由なきことだから偶然と言う言葉を使うのだろうが、得てして偶然は導かれている事が多い。何に導かれたのだろう。一人の女性を洗礼まで導くきっかけ作りに貢献したことをそれこそ神様は見ていてくれたのだろうか。  姉に会わせて頂いた事は嬉しいが、あつかましくももう1つお願いできるとしたら是非、今夜の選挙結果の発表でヒトラーもどきの人間を退場させて欲しい。