区切り

 連続3週の第九が終わった。堪能したかといえば、そうとは言えない。CDは何年も前から持っているし、ユーチューブで今ではいつでも聴けるのだが、3度も連続で聴くと逆にユーチューブなどで聴こうと思わなくなった。まだ何度でも会場で聴くことができそうな気がする。  月並みだが、毎年この時期に第九を聴くと、この1年何とかやって来れたことへの何に向かってか分からないが感謝の気持ちが湧いて来る。安堵とも言える。そして願わくば来年も何とか無事に過ごす事が出来て、こうして再びこの席で第九を聴きたいと思うのだ。年の暮れに聴くから、ひとつの区切りになる。もう何回この区切りを迎えることが出来るのだろうと考えると、とても価値があるものに思える。若い時に何故こうした行動を取らなかったのかと若干悔やまれるが、そんなことに想いが至らないのが若さなのだろう。思えば随分無駄な時間を過ごした気がするが、それも若さゆえだろう。多くの物を手に入れようとして、結局は多くのものを失っていたのがあの頃かもしれない。  丸亀市民会館あたりはいわゆるシャッター通りになっていて、食事に毎回困る。会館の中にあったチェーンのうどん屋さんが美味しかったが、数年前に閉店して以来困っていた。そこで今回インターネットで検索してあるうどん屋さんを見つけていた。シャッター通りの入り口にあるから、以前何度も選択肢から外していたのだが、インターネットの内容が結構良いような気がしたので入ってみた。確か「つづみ」と言う名前のうどん屋さんだったが、これが中りで、一緒に連れて行ったかの国の女性達が「イママデデ イチバン オイシイ」と口々に言った。岡山県のうどんしか食べていないからかもしれないが、僕も初めて「ぶっかけ」なる物を食べたが、確かに美味しかった。セルフでないのも好都合だったが、厨房の中が見えた時に、注文を聞いてからてんぷらをあげているのが分かって、最高の評価を彼女達がしたのもうなづけた。これでこれから安心して丸亀に行くことが出来る。唯一のネックが食べ物屋さんだったから。  今日連れて行ったのは、牛窓で働いている女性二人と、玉野教会で知り合った姉妹だ。玉野教会の姉妹の日本語に対する貪欲な勉強欲とその実績に驚かされた。ただ、第九を聴いている時に偶然左右に席を取っていた姉妹が2人とも僕の肩に頭を預けてくる。丁度国に残しているおじいさんと同じくらいの年だから(親も祖母も10代で出産している)望郷の念が沸いてきたのだろうか。僕らの世代は恵まれた時代で外国で働くと言うような選択肢はなかったから、疑似体験も出来ないが、肩を貸すくらいで慰めれるなら簡単なことだ。  「オネエサン ナニカモンダイデスカ?」「〇〇サン ナニカモンダイデスカ?」と言う言葉を一日のうちに何回か耳にした。懸命に異国で生きているからこそ覚えた言葉だろうが、その言葉が第九を聴いているときも何度も頭をよぎった。