奇跡

 1週間前だったか、突然やって来た。この女性は2週間に一度定期的に煎じ薬を取りに来る女性だったから、何があったのだろうと思ったが、その女性の顔を見た瞬間、何かよからぬことが起こったのだとわかった。顔に焦りと恐怖が表れていた。  実はこの女性のお子さんが、ある病気で入院していて、そのためによその県から引っ越してきている。毎日病院に通って世話をしているのだが、あの慌てようは何かお子さんに起こったのだろうと推察できるものだった。案の定、お子さんの症状が退院を目の前にして突然悪化し集中治療室に入ったそうだ。あるトラブルが起こったのだが、そのトラブルに効く漢方薬がないかと言うのだ。   大病院で出来ないものが漢方薬で出来るはずもないし、そもそも守備範囲が違う。漢方薬は急性の命を落としそうなトラブルには全く太刀打ちできない。そうした判断が出来ないくらい彼女は舞い上がっていたのだろう。そのことを伝えると急に涙ぐんで、その後涙を止めることは出来なかった。何回か僕の非力を謝ったら、やっと分かってくれて涙を拭いながら帰っていった。  子供を亡くす母親の姿などあまりにもかわいそうで見たくないから、何とか奇跡が起こらないかと願っていたら、今日いつもの漢方薬を取りに来た。その表情が悲しみに打ちひしがれているものではなかったので、ある程度希望を持ってその後を尋ねた。すると無事回復したそうで、もう心配はいらないと言っていた。「母親の愛情だろう!」と言うと、その病院が薬ではなくある治療法を試してくれてそれが奏功したらしい。何回か母親の愛を強調したが、その女性は「新しい方法を試してくださった病院のおかげです」とその都度返した。こんなことで押し問答をしても仕方ないので最後は僕が折れたが、他県からわざわざ住むところを変えて看病している母親のおかげだと僕は心の中では譲らない。  親についてはいいに付け悪いにつけ数多の格言が言い尽くされているが、どれも的を射ていて、どれも的を外す。それだけ難しいのだ。喜びもあり哀しみもあり、希望もあり絶望もある。時に愛し、時に憎む。正反対の心模様も幾度となく体験する。ありそうでなさそうな正解を求めて苦悩する。  最悪を覚悟し恐怖の深淵から救い出された母親の笑顔を何に例えればいいのだろう。何に感謝すればいいのだろう。こんなことが時として起こってくれるから、人は何かに向かって頭を垂れるのだろう。