翻訳

 僕より背が高い。体格ははるかにいい。40年前に、商工会の青年部の野球大会に出ていた頃はヒーローだった。若いからと言う理由だけで借り出された僕とは違って、様になっている。高校時代に野球をやっていた人は田舎ではもう別格だ。甲子園に出たというレベルでなくても歯が立たない。僕らは野球は9人でするものというルールを満たす為だけに駆り出されただけで何の役にも立たず、今日来た男性のように経験者達を目立たすもの程度の存在だった。  自営業の彼は、この半年くらいの間に処方箋をもち込むようになった。息子が勤め始めた診療所に患者として通っていたそうだが、縁あって息子に漢方薬を処方してもらうようになって処方箋を僕の薬局に持ち込むようになったのだ。当初は脊柱管狭窄症だけの漢方薬だったが、そのうち慣れてくると他の病院の処方箋も持ってくるようになった。眼科に、内科に、整形にと色々な科の処方箋を持って来る。  今日彼が来たときに他に人がいなかったので、お茶を飲みながら雑談をした。今の体調のことを聞いて、養生方法などを思いつくまま話していたのだが、出てくるわ出てくるわ、こんなに不調を抱えているのかと思うほどだった。今でもがっちりして見えるから腰以外はいいのかと思っていたが、なかなか寄る年波には勝てないらしい。  「ワシらがわけえ時にゃあ、親父が、ここがいてえ、あそこがいていと、よう、ようった。血圧はたこうなるわ、あたまはふらふらするわ 小便にはようおきるわ、目はよう見えんわ、歯は抜けるわ、体はかいいわ。何を毎日いよんじゃとおもっとたけど、ワシが今同じようなことをようる。わるういわんかったらよかった」嘗ての野球青年も、今は多くの薬の世話になっている。自嘲気味に父親を悪く言っていた頃を再現してくれたが、正に今の彼そのものだ。「皆歳をとったら同じじゃあ!」と僕も同意したが、彼、彼の父親、そして僕自身も含めて「皆」と言ったのは彼には分かっただろうか。ただし、5年前には今の僕を経験しているから、分かったかもしれない。「皆同じ」残酷な現実をこの一言で耐えるのだ。

 こうして文章にすると岡山弁もかなり難しい。念のため共通語に翻訳して会話の部分を再現しておく。

「私達が若い時には、親父がここが痛い、あそこが痛いとよく言ってた。血圧は高くなるし、頭はふらふらするし、小便にはよく起きるし、目はよく見えなくなるし、歯は抜けるし、体は痒いし、毎日何を言っているのかと思ったが私が今同じようなことを言っている。悪く言わなければよかった」