期間限定

 やっぱり もう重症ではない!と思えました。先生と話が出来て帰りは最高でした。忙しいのに本当ありがとうございました。先生は僕でなくても誰かに話を聞いてもらえばいい…って言いますが私は先生だから意味があるんだと思います。今まで先生のところにお世話になる前は内科 心療内科 産婦人科 色々 行っても自分はこんなに体調が悪いのに大した事ないみたいに言われたり,、毎回 毎回 つらくて変わらない症状を必死で訴えてるのに、なんの説得力もなく薬をもらうだけで帰りには自分は治るのか?大丈夫なのか?こんな薬飲んで大丈夫なのか?治す為の薬が不安材料になる!って安心させてもらうどころか不安ばかりでした。どんどん症状がひどくなってどうしたらいいのか…もう精神的にも体調的にも限界でした。そんな時ネットでみつけて先生の所に行ってみよう??と思いました。最初は先生のところまで行く自信がなくて電話でした。電話で初めて話をして…親切に対応してもらい、すぐに薬を送ってもらい、もしかしたらこの先生だったら治るかもしれない??って先生と話をする事で希望が持てました。この気持ちにさせてもらったのが本当に嬉しかったし救われました。最初の頃 本当にしんどかった時でも他の病院と全く違って先生と話すと今までどうしたらいいか絶望的で苦しんでた自分でも治るかもしれない??大丈夫なんだ??って思わせてくれて帰りには希望と安心が持て また回復に向けてガンバローって自然と思わせてくれます。私にとってはこれが先生と話す事の意味だと思います。最近は特に先生と話をするとき緊張も減って自分が出せるようになったのも大きいかもしれません。それに友達じゃ 心配はしてくれてもこの安心と希望が持てないんだと思います。また明日から私なりに頑張ってみます。希望と安心に感謝です。

 若い時にも色々考えていたのだと思うが、この歳になっても心は揺れ動くものだと知った。年齢を重ねれば、多くを経験しどっしりと構えておれるのかと思っていたが、意外や意外、心はもろいものだ。つい最近たどり着いた「話し相手がいない病」のジャンル分けも、上記のメールを頂いてから揺れ始めた。話し相手は僕でなくてもいいと言う結論だったのだが、正に現在進行形の方から、文章で冷静に指摘されると考え直さなければならないのかなと思う。  僕は皆さんとどんな会話をしているのかほとんどノーマークだから分からない。その時々は懸命に話している。ただ、説得なんかではない。説得は不可能だと長年の経験で悟った。教訓は自分自身が何もつかんでいないから口から出ない。病態について少し、薬について少し、後は日常誰とでも行きかう言葉を往来させているだけだ。口から出しただけ人は楽になるから、多くを喋ってもらうが、僕も楽になりたいから多くを喋る。しいて言えば、目の前の人に楽になってもらう唯一の目的を達するために、僕は期間限定の友人になっているのかもしれない。ただちょっとだけ漢方薬に詳しい友人ではあるが。