再・再放送

 かぐや姫ではないが、このところ僕は毎日のように同じ時間が来ると涙を流している。涙があふれて仕方ないのだ。人の、いや人生と言い換えてもいいかもしれないが、哀れを感じてしまうのだ。華やかさとか、喜びとか、そうしたものとは無縁の無数の生き方が綿々と続いていることに人生のはかなさを感じる。  原作が素晴らしいのだろう。脚本家が素晴らしいのだろう。プロデューサーが素晴らしいのだろう。監督が素晴らしいのだろう。時代考証が素晴らしいのだろう。小道具大道具が素晴らしいのだろう。そして俳優も素晴らしいのだろう。何回見ても涙を抑えることが出来ない。  僕は昼食を10分くらいで食べて、すぐ仕事にかかるから、何年に一度くらい贅沢な昼の時間を過ごしても許されるだろう。実際、僕しか応対できない人が来たとき以外は、2階に呼びに来られない。大目に見てもらえているのだろう。安心してゆっくりとまでは行かないが、まずまず中座されることなく数日間至福の時間を過ごしている。  あの時代をかなり忠実に再現しているとなると、僕らが生まれた頃のわずか100年前には、あんな人たちがあんなことをしながら生きていたのだと感慨深くなる。わずか数世代前の話ってことがどうしても理解できない。大昔のことみたいだ。数々の道具の発達で急速に時代が進歩したことが分かる。過去の何万年、何千年、何百年、何十年が、現代では数時間、いやいや数分で置き換えられるくらいの変化の早さだ。いやいやひょっとしたら数秒で過去の何百年の変化を越えるかもしれない。  大昔と同じ遺伝子の人間がこんな急激な変化についていけるのだろうか。懸命についていっている人もいれば脱落する人もいる。機械の発達で人間が淘汰されている。  今の時代に「咲様」はもういない。仁先生ももういない。竜馬もいない。野風もいない。計算高い人種がひたすら繁殖を繰り返している。「もどるぜよ」