善良

 日曜日の和太鼓コンサートの道中は、初めて〇〇ちゃんや〇〇さんと知り合ってよかったなと思える時間でした。もちろん今までは、二人はまるで娘のような存在で、それはそれで楽しかったのですが、あの日に聞いた二人の話で、二人の存在がなくてはならない人たちがおられることを知って、とてもうれしく思い、二人が日本にやってくることに、少しばかりのお手伝いができたことを誇りに思っています。まるで娘が育っていくのをリアルタイムで見ているようです。
 お父さんは、2年間も一緒に暮らしていても、二人がどんな資格を取ったのか正確には知りませんでした。二人との思い出はどちらかと言うと、どんなアルバイトをしているのかというほうが強くて、今思えば結構勉強していたんだと気づかされます。語学のハンディーを乗り越えて、よくあの国家資格がとれたものだと今は思えます。
 二人が、生まれながらに心身のハンディーを持っている方々を世話していることはもちろん知っていました。二人がその仕事をつらいとかいやだと言ったこともないことも知っています。そしてその方々にいかに快適な時間を過ごしてもらうための工夫を続けているのも知っています。時に手に負えないことがあっても、常に肯定的な言葉しか二人は口にしませんでしたね。多くの日本人がすぐに辞めていくのを聞けば、実際のハードさは想像できますが、あの子?の話を聞いて、お父さんは初めて人目に触れにくい現実を教えてもらえたように思います。
 日常生活でそうした人たちに接する機会がないから、体験はもちろん知識もありませんが、お父さんにはそうした方の存在が初めて頭の中ではっきり見えたのです。その一瞬で、お父さんの人生を変えてしまいそうなくらいの衝撃でした。そして二人が話の中で何度も用いた言葉「かわいい」が、偶然ミサで神父様が何度も繰り返された「善良 善人」という言葉と重なったのです。あの日4人で玉野教会経由で多度津に出かけたのも、お恵みだったのかもしれません。
 あの子は「かわいい」のですね。何度二人はこの言葉を繰り返したでしょう。この時代にどのような出生時の状況が重なってそのようになったかわかりませんが、お父さんには衝撃でした。まさに現代のヘレンケラーなのです。この時代に何が悪影響を及ぼしたのかわかりませんが、まさか同時代に「見えなくて聞こえない子」がいるなんて、想像もできませんでした。「お腹がすくと不機嫌になり、食べるとうれしそうな顔をする」恐らく二人には天使なのですね。いやお父さんには二人も同じ天使に見えました。
 お父さんも含めて、整いすぎた現代では、いやそれこそが人生の目標のような現代では、ハンディーから目をそらせて、光しか見ません。必ず光には影があるのに、それは見ないふりをするのです。「死」を忌み嫌う現代日本人には、直視する勇気も愛もないのではないでしょうか。
 お父さんも、人生の中でそういった方々に何かしらお手伝いをしなければならないと思う機会は多々ありましたが、勇気も愛もなくて今に至っています。せめて、せめて、二人がそのような仕事につくお手伝いをさせてもらったことが、免罪符になってくれたらと思わずにはおれません。
 あの夜から、お父さんは家族だけではなく「あの子」の為にも祈ることにしました。二人が教えてくれた「うれしそうな顔」が何度も何度も訪れてくれるようにと。
 お父さんはもう人生の最終章です。今にふさわしい生き方を〇〇ちゃんと〇〇さんに暗示してもらったように思います。二人に感謝です。ありがとう。

 

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