自己嫌悪

 よくマスコミの取材に答えてあげることができたなと思いながら、顔を隠した女性のインタビューをニュースで聞いていた。千葉県で下校中の児童の列に飲酒運転のトラックが突っ込んだ事件だ。
 毎日繰り返される同類のニュースに、僕らは単語や数字でしか反応しないが、祖母に当たるその女性の言葉を聞き強烈な自己嫌悪に陥った。なんて想像力を欠いていたのだろうと。
児童の祖母は、番組の取材に対し悲痛な思いを語った。
「大きな声で孫の名前を呼ぶしかなかった。何回も何回も大きな声で、『大丈夫だよ、大丈夫だよ、救急車くるよ。ママもいるよ!』って。それしか…。反応はなかったですが、声が聞こえればいくらかでも頑張れるような気がして」
「視力が戻らない。味覚も多分ない。言語も分からないだろうと。生きているだけかもしれないと。術後の状態によっては急変するかも知れない。その可能性もあると(医者に言われた)。代わってあげたくたって、代わってあげられない」
 おそらく重体と報じられたお子さんのおばあさんだと思うが、この言葉を聞いた瞬間、初めて僕は、事故の悲惨さが概念から具体的な像にかわった。そしてその無念さを初めて共有できた。僕らは大なり小なりその光景を置き換えられる対象を持っている。その女性と同じ対象ではないかもしれないが、大切な人をほとんどの人が持っている。もし同じ状態に陥ったら「発狂」してしまうくらいの大切な人はいる。
 その夜、なかなか寝付かれなかった。あの犯罪的な理由でなくても、すべてのドライバーが同じような加害者になる可能性はある。できれば免許証を返納するまで誰も傷つけることなく過ごしたいものだ。
 神に祈ることでそれが叶うなら、僕はより良き信者になるべく努力する。

 

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