悲鳴

 頭を離れないニュースがある。皆さんもご存じのニュースだ。
 渋谷のバス停のベンチに座っていた女性が突然、男に襲われ死亡した事件。男はバス停にいた女性にどこか行ってくれと頼んだが、拒まれたから殴り殺した。女性はそのバス停をねぐらにしていたホームレスの女性で、何と所持金が8円。そのほか、衣類、電源の入らない携帯電話、そして食品のごみを所持。
近所の人「(被害者の女性は)バス停の椅子で寝ていました。朝2時くらいに来て、6時前には帰ります。新宿の方に歩いて。パーカー着たり上着着たりして寝てて、最近寒いので凍死しちゃうんじゃないかなと心配していた」、「小柄でおかっぱ頭でね、そこのベンチに座ってね、もう1カ月くらい前から気になっていた。キャリーケースをつえみたいにして寝てるんです」
 母親に連れられて自首した男と殺された女性の不運な交差が起こした事件だろうが、防ぐことができて当然の事件だ。多くの人がその女性を目撃していたはずで、誰も助けようとしなかったのだろうか。所持金8円の人がどうして生きていたのだろう。都会の残飯をあさっていたのだろう。誰かが役所に連絡してあげるだけで防ぐことができた事件なのではないだろうか。電話一本で防げた。
 頼る人もなく、彼女のように孤独に生きているだけの人も多いのだろう。声を上げてくれれば誰かの耳には聞こえるのに、悲鳴すら忘れていたのだろうか。政治がこの人たちを救わずして何の意味があるのだ。自助を訴えるカスが政治のトップに立っているなんて、馬鹿らしくなる。汚部が捕まるときはカスも同じだ。母親に連れられてしか自首できないような中年男、8円で暮らす初老の女性。底辺同士で何をしている!